建国記念の日 | つばさ先生の徒然日記

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3足のわらじを履く謎多き先生の日々を記録します。

みなさん、『建国記念日』と表現していますが、

日本には『建国記念日』というものは存在していません


そう、建国記念の日と表記します。


なんで?って思う人が多いんじゃないでしょうか。
その謎を解き明かすには1945年まで戻る必要があります。

1946年までは2月11日は紀元節という日でした。
初代天皇神武天皇が紀元前660年2月11日(現在の暦で)に大和の地で即位したのですが、これを現在の日本の成立とみなしているので、日本の紀元ということで紀元節と名づけられたのです。
以後、2000年以上にわたって、日本国は天皇を中心とする国作りが続きます。
政治を担う将軍職というものはありましたが、やはり天皇が任命しないとその職には就けません。
現在の総理大臣をはじめとする国務大臣もそうですね。いまも、国会が候補者を選定し、それを天皇が認める。その行為がないと職には就けないのです。
それだけ、日本という国には天皇の存在は欠かせません。


1945年、日本は大東亜戦争に敗れました。
アメリカの無差別爆撃と核爆弾、不戦条約を結んでいたソ連の裏切り、などなどが影響して、昭和天皇はポツダム宣言受諾を支持されたのです。
当時、連合国軍の多くは天皇を戦犯として処刑せよと発していました。
それを止めたのはマッカーサー元帥です。

彼は「天皇を処刑するようなことがあれば、日本国民が全員で連合国軍に攻撃してくる」と感じていました。
当時いた7千万人の日本人、海外にいた300万人の日本人が一斉に攻撃してくると感じていたのです。
結果、マッカーサーは天皇を守り切りました。


さて、平和憲法を作るにあたり、国会議員をみなさんは、これまでの天皇中心から国民中心の憲法へと移行をはじめます。
しかし、天皇家を大事にしてきたことは守りたいので、国民が皇室を感じる日(明治憲法下での祝日)はなんとか残そうとしてきました。

明治天皇の誕生日はいまも文化の日として残っています。

問題は紀元節でした。
2600年も前の話です。正確な記録など残っていません。
西暦700年代に成立した日本書紀・古事記が元となって、そこから計算された結果導き出されたのが紀元前660年です。
日本書紀・古事記も「神話」として伝えられているもの。つまり、明確な証拠とは言えなかったのです。

本当なら、諸外国に倣って「建国記念日」としたかった。でも、GHQはそれを許しませんでした。
しかし、国民も納得できるような明確な建国記念日があったわけでもない。
なので苦肉の策として「建国記念の日」という、国の成立を祝う日を作ったのです。



日本っていつできたの?

こう言ってくる外国人に明確に答えられる日本人はあまり多くありません。
明治政府が誕生した時?大政奉還の日?
いえいえ、紀元前660年の2月11日です。


もう今日は残り10時間あまりとなってしまいました。
残りの時間、日本の建国を学ぶ時間にしても、罰は当たらないと思いますよ。