「人間性の問題」

例え斎藤知事がどんなに非道な極悪人であれ、マスコミメディアが寄って集ってやっていることは斎藤氏に対する人格攻撃、つまり「誹謗中傷」の類いであることに変わりがない。斎藤知事の辞任なのか、県民局長の仇討ちなのか、それとも溺れる犬に石を投げるのが楽しいのか、目的が完全にずれてしまっている。斎藤知事に対して辞任を求めるのであれば、誰か一人、この場合吉村維新副代表か維新の創設者橋下氏が、斎藤知事の胸ぐらを掴んで「大声」で叱責すればよいことである。百条委員会や不信任決議、リコール、法的措置などは、ルサンチマンを行った後のことである。一人の極悪人に対して、面と向かいあうことも出来ず、多勢でそしてカメラの陰でこうした「人格攻撃」は、斎藤知事の居直ったかのような威風堂々とした弁明を受け入れる隙を与えることになる。今、ほんとうに「人間性」が問われているのは、馬場氏や吉村氏であり、維新という政党そのものである。