付箋を投げられたこと、本人たちが『必要以上だ』ということ、これをパワハラと言うんじゃないですか

質問者はここで、「付箋」を投げつけなければならない。そして、運営方に取り押さえられ会場から退出される。そういう「演劇」のチャンスであった。内容は別にして、斎藤知事の「演劇」のレベルは高い。常に斎藤知事のペースで進んでいるが、誰かが「大きな声」を上げて、場の空気を一変しなければ斎藤知事を追い詰めることは出来ない。つまり、斎藤知事の命がけ、必死、信念のようなものに対して、マスコミメディアや県職員、県民が全く追いついていない。パワハラやおねだりなど、いくら議論をしても堂々巡りを繰り返すだけであり、主題はひと一人の尊い命が失われているといことだ、この県民局長の思いに侵入できないのであれば、百条委員会や不信任案提出など、もうやめた方が良い。斎藤知事はそれらはすべて自身の弁明のチャンスと喜んでるぞ。松本人志はここを学ぶべきである。こんな体たらくな議論を最も悲しんでいるのは亡くなった県民局長だと思う。