A子さん、B子さんについて暴露系YouTuberの配信内容を証拠として提出


もう無茶苦茶である。リングの外から、あたり構わずガスを撒き散らし、こんなもの証拠開示されたら、もはやA子さん、B子さんのプライバシーだけでは済まない。この国のアホバカの元凶の正体は、松本人志ファンやジャニーズファンであることは、もはや揺るぎようがない。この両者は「罪」に向き合えず、犯罪前歴者よりもたちが悪い。日本版DBSの対象とすべきである。学校や塾、そして保育所などは、アーカイブにより個人の嗜好性を把握し、松本人志ファンやジャニーズファンを教員採用から排除すれば、少なくともいじめや児童ポルノ、盗撮など子どもたちを性犯罪は激減する。共通するのは、すべてが単なる「性的ないたずら」で、女性や子どもに対するアニマ崇拝のフェティシズムにより、女性や子どもの人としての尊厳の理解ができない、そして、こういうことを一生繰り返す

 

 

 

 

 

党派を超えてこの国の議員は、もはや、自民、立憲による保守リベルなどありもしない対立軸を設けては、その本音は議員であることが自己目的化されている。ここは思い切ってジャニーズファン、松本人志ファンのいない、女性や子どもたちを性的対象から守る政党というような「非常識」な発想が欲しい。今この国に求められているのは、これから生まれてくる子どもたちの未来である。国が無理なら、ジャニーズファンのいない町や村、松本人志ファンの教員がいない学校が出来れば、女性たちは街でも学校でも安心して子どもを預けることができ、安心して子育てができる。松本人志ファンの教員のいない学校は、面白みにかけるかもしれないが、陰湿ないじめは消滅する。松本人志のファンのいない企業であれば、たむけんタイムのような飲み会もなく、職場でのセクハラパワハラも激減することになり女性は仕事に集中できる。そういう人権に立脚した新しいパブリックのロマンを掲げるような勇敢な政党や企業は現れないものか。例え人口規模が小さくても、ジャニーズファン松本人志ファンのいない都市やパブリックができれば、そのユートピアを求めて女性が全国から集まってくる。学校や会社で女性たちは、生き生きと活躍できる。何しろ、ジャニーズファンや松本人志ファンというややこしい人間がいない。「松ちゃんスゴい」というおかしな男もいないから、婚姻率も高まり、結果として少子化問題も解消する。そういう都市はオルタナティブな日本の首都となり、日本や日本人のイメージをドラスティックに向上させることになる。ジャニーズで大恥をかいた日本は、ジャニーズで世界からの評判を取り戻す絶好の機会になる。人口規模10万人くらいの都市くらいまでなら実現できるのではないか。東京都知事選が終われば、どこかの町や村は、有志で要請してみればどうだろう、あの石丸氏に。

 

 

 

 

 

「下品の一言」「果てしなく低俗」「発想が中学生レベルで都民にとって迷惑千万。法律に抵触しなければ何をしても良い訳ではない。

その言葉は、立花氏ではなく、松本人志にぶつけるべきである。この問題は東京都知事選という、イベントの一場面にすぎず、そもそも有権者が正しく選挙権を行使すれば何の問題もない。選挙が終われば掲示板は撤去され、子どもには理解できるように、易しくその問題の背景を説明してあげれば、逆に教育的機会になる。もちろん、立花氏の行動は非常識であることは間違いなく、氏の行動のほとんどが非常識で、どちらかと言えば「間違った」行動ばかりなのかもしれないが、立花氏の時間性は、「何かに成る過程」に位置している。何よりも立花氏は、松本人志や木村拓哉とは違い、議論から逃げるようなことはしない。この国の議会制度での民主主義に期待するのであれば、立憲や維新ではなく、この非常識な良識人との戦争(議論)を尽くすことが最も合理的だと思うのだが。

 

 

 

「公職選挙上、ポスターの内容に規制はない」ことも説明。その上で「でも他の法律に触れたら当然ダメ」ということも強調した。

それぞれの立場で、それぞれ思うことはあるとは思うが、そんな表層にあるレトリックを議論しても仕方がない。この国はジャニー喜多川や松本人志の性の非常識を受け入れてしまった。もちろん、正しいとまで思っていないだろうが、あくまでこの二人の起こした行為は、「性的ないたずら」に過ぎないと思っている。その被害者が性被害を訴えれば、ジャニーズファンはそれくらいのことで大きな声を上げるなと、逆ギレを起こし性加害の隠蔽を続ける所属タレントを必死に守る。こうして被害者の人権や生存権に関しては、無関心なくせに、いざ自分のことに関係すると、やれ不道徳だの非常識だの、子どもの教育上や、街の美観が損なわれるなど言いたい放題である。子どもの教育上なら、ジャニーファンや松本人志ファンの教員を雇っている方が、子どもにとってはリスクは大きい。人を生身の人間として見れず、フェティッシュなアイドル(偶像)崇拝の中で生きている人間は、例え教員や医師であろうと、人間の本能的な欲について最後の歯止めが効かず、境界を超えることになり必ず暴発する。日本版DBSを言うなら、まずはジャニーズや松本人志ファンを、子どもに関係する職場から排除することが真っ先に優先されなければならない。松本ファンの教員がいじめ解決やいじめ被害者の心中を察することなどできるはずがなく、むしろ面白い教師の支持を得るために、いじめ空気を醸成している。ジャニーズファンの親たちは、一部を除いてその多くは、事実を知りながらアイドルになるためなら、ジャニー喜多川にお尻くらい差し出しなさいと思っていた。この国には数千万のジャニーズファン、そして松本人志ファンような人間が社会に紛れ込んでいる。

 

 

 

 

N国党立花氏のやっていることは、非常識だが良識的な政治活動だと言える。一方で警視庁は警視庁の、選管は選管のやるべき仕事をしている。決して「表現の自由」の侵害には当たらない。それぞれ主張する中で、折り合いを見つければ何の問題もない。そもそも、これが自民党のいう「ダイバーシティ」ではないのか。この国では風営法や売春管理法の幾何の中で、風俗行為あるいは売春行為は何の問題もない。違法となるのは、管理売春あるいは不同意による強制性交や未成年者に対する性行為である。この国の社会やマスコミメディアは、人類史上最悪の性犯罪者であるジャニー喜多川や松本人志は許容して、個人の風俗営業に関してあれこれ言うのは全く寸法が合わない。間違っているのは、立花氏でも、全裸ポスターや風俗ポスターではなく、こうした選挙ポスター掲示板をはじめとする選挙活動の在り方、つまりプラットフォームそのものである。いやなら変えればどうだ。

 

 

 

 

広告なのか、候補者ポスターなのかわからないって有権者は困惑しますよね。


「より面倒で厄介な方法」のほうが、脳はよく働く

 


そもそも別にポスターは選挙の基盤でもなんでもない。考察が浅すぎる。乱立しようがしまいがこの国の「有権者」は小泉進次郎や今井絵理子を当選させてきたじゃないか。候補者の乱立で、決して選挙に注目が集まって良かったとは思わないが、広告なのか候補者ポスターなのかわからないというのは思わぬ効果だと思う。それによって、有権者はポスターの掲示内容に集中するはずである。つまり、病気や年齢的な体の衰えにより、食事や生活習慣を見直すことで、以前より体調が良くなったというパラドクスである。もちろんN国の立花氏がそこまで考えていたとは思わないが、これでも東京都民が有権者として成長しないのであれば、それは本当の馬鹿である。他者に非常識や不道徳を責め立てることは、人間の原初的な快感本能である。特にセロトニン因子の不足している日本人は世界の中でも突出してその傾向が強い。こうした醜悪な状況であっても、リーダーとなり得る候補者がいれば、それを見つけ出すのも「有権者」に与えられた重要な使命である。何でもネガティブに捉えて、文句ばっかり言ってても仕方がない。他者に責任を擦り付けることで自己を肯定化したり、与えられたに責任から逃れられると思っているのであればほんとうにおめでたい。