「公職選挙上、ポスターの内容に規制はない」ことも説明。その上で「でも他の法律に触れたら当然ダメ」ということも強調した。

それぞれの立場で、それぞれ思うことはあるとは思うが、そんな表層にあるレトリックを議論しても仕方がない。この国はジャニー喜多川や松本人志の性の非常識を受け入れてしまった。もちろん、正しいとまで思っていないが、共にあくまでこの二人の行為は、「性的ないたずら」に過ぎない。その被害に対して、声を上げればそれくらいのことで大きな声を上げるなと、逆ギレを興し性加害の隠蔽を続ける所属タレントを必死に守る。こうした被害者の人権や生存権に関しては、無関心なくせに、いざ自分のことに関係すると、やれ不道徳だの非常識だの、子どもの教育上や、街の美観が損なわれるなど言いたい放題である。子どもの教育上なら、ジャニーファンや松本人志ファンの教員を雇っている方が、子どもにとってはリスクは大きい。人を生身の人間として見れず、フェティッシュなアイドル(偶像)崇拝の中で生きている人間は、例え教員や医師であろうと、最後の歯止めが効かず境界を超えて必ず暴発する。日本版DBSを言うなら、まずはジャニーズファンや松本人志ファンを、子どもに関係する職場から排除することが真っ先優先されなければならない。ジャニーズファンの親たちは、一部を除いてその多くは、事実を知りながらアイドルになるためなら、ジャニー喜多川にお尻くらい差し出しなさいと思っていた。この国には数千万のジャニーズファン、そして松本人志ファンような人間が社会に紛れ込んでいる。

 

 

 

 

N国党立花氏のやっていることは、非常識だが良識的な政治活動だと言える。一方で警視庁は警視庁の、選管は選管のやるべき仕事をしている。決して「表現の自由」の侵害には当たらない。それぞれ主張する中で、折り合いを見つければ何の問題もない。そもそも、これが自民党のいう「ダイバーシティ」ではないのか。この国では風営法や売春管理法の幾何の中で、風俗行為あるいは売春行為は何の問題もない。違法となるのは、管理売春あるいは不同意による強制性交や未成年者に対する性行為である。この国の社会やマスコミメディアは、人類史上最悪の性犯罪者であるジャニー喜多川や松本人志は許容して、個人の風俗営業に関してあれこれ言うのは全く寸法が合わない。間違っているのは、立花氏でも、全裸ポスターや風俗ポスターではなく、こうした選挙ポスター掲示板をはじめとする選挙活動の在り方、つまりプラットフォームそのものである。いやなら変えればどうだ。

 

 

 

 

広告なのか、候補者ポスターなのかわからないって有権者は困惑しますよね。


「より面倒で厄介な方法」のほうが、脳はよく働く

 


そもそも別にポスターは選挙の基盤でもなんでもない。考察が浅すぎる。乱立しようがしまいがこの国の「有権者」は小泉進次郎や今井絵理子を当選させてきたじゃないか。候補者の乱立で、決して選挙に注目が集まって良かったとは思わないが、広告なのか候補者ポスターなのかわからないというのは思わぬ効果だと思う。それによって、有権者はポスターの掲示内容に集中するはずである。つまり、病気や年齢的な体の衰えにより、食事や生活習慣を見直すことで、以前より体調が良くなったというパラドクスである。もちろんN国の立花氏がそこまで考えていたとは思わないが、これでも東京都民が有権者として成長しないのであれば、それは本当の馬鹿である。他者に非常識や不道徳を責め立てることは、人間の原初的な快感本能である。特にセロトニン因子の不足している日本人は世界の中でも突出してその傾向が強い。こうした醜悪な状況であっても、リーダーとなり得る候補者がいれば、それを見つけ出すのも「有権者」に与えられた重要な使命である。何でもネガティブに捉えて、文句ばっかり言ってても仕方がない。他者に責任を擦り付けることで自己を肯定化したり、与えられたに責任から逃れられると思っているのであればほんとうにおめでたい。