多くの日本人は「差別」と「区別」は違う、「区別」はよくて、「差別」は悪いという、わけのわからないことを真顔で口にする。この稚拙で摩訶不思議な論理を世界中の子どもたちが笑っている。水平的に分類するのが「区別」で、垂直的に分類するのが「差別」。「区別」と「差別」に、いいも悪いもない。一体英語でどう使い分けるのか。恣意的な分類により、排除したり、不利益を与えることが問題であり、「区別」、「差別」は何の関係もない。つまり、「区別」は当然、たとえ「平等」を盾にして恣意的に排除や迫害をしてもいいということには決してならない。この国は表現においても「差別」はだめだが、「差別化」は認められている。こんなややこしい言語が世界に通用するはずがない。また、この国の「おもてなし」は水平ではなく、垂直分類の「差別」に当てはまるが、この場合、「差別」だから悪いということではなく、対等であるべき主客関係において、相手の属性により恣意的に利益不利益の分断を図ることが問題なのであり、「差別」自体に良い悪いもない。主客は対等では有るがその位相は異なる。お互いの立ち位置の「差別」を認識した上で「対等」な関係を築くことが求められる。そもそも「おもてなし」は人間の内心の問題であり、そんなことまで国が関与すること自体滑稽としか言いようがない。オリンピック誘致の際の「お・も・て・な・し」は、海外の人間からすれば、私たち日本人は「下」に分類してくださいと言っているに等しい。そんなことを厚化粧女の満面の笑みで、いちいち発表することこそが下品な行為であり、そんな余計なお節介は、自慢たらしく口にするのではなく、心の内に大切に秘めておけばいい。日本人にI love youという言語文化は存在しない。一つ一つの何気ない、さり気ない相手に対する思いやりことこそが、日本人の本当の美徳である。それを相手が気づこうが気づかまいが。

 

 

 

言葉にしないとわからないって、

そんな情けないこというなよ。

僕たちはロボットじゃなくって、

人間なんだから。

 

想いは、すでにカタチだよ。

全ての人間は「対等」、

人としての尊厳を決して犯してはならない

という内心からほとばしる熱い想いがないんじゃないのか。