「エゴサはしないですか?」と聞かれると「して、受け止めます。」

新型コロナウイルスの感染初期、当時の最高指揮官による自粛要請も無視して、一万人ライブを強行し、全国にスーパースプレッサーを拡散させたのが、この椎名林檎と東京事変である。もちろん、感染拡大の原因が彼女一人にあるとは思わないが、あのライブさえなければ、日本の感染拡大は緩やかに抑えられ、ピークコントロールは十分に可能であったはずである。そういうことを言うと、エビデンスがないとかエントロピーたちが騒ぎ出すが、あの状況で一万人の三密ライブを決行して、一人も感染者が発生しないという方が暴論である。韓国での新興宗教教祖は、8000人の集会を行ったことで感染拡大をさせたことについて、国民の前で土下座までしている。新型コロナウイルスでは、この国は大きな打撃を受け、多くの人の命が失われている。感染拡大当初に適格なピークコントロールさえ出来ていれば、全ての歴史が変わっているはずである。「普通に思っていること言ったらさ。炎上しちゃうじゃないですか?」よくもまあ、こんな人間をマスコミメディアが持ち上げるのか全く意味不明である。

 

私はこの国で起こっているのは、こうしたエンタメの天才たちによる「ホームグロウンテロ」だと思っている。ジャニーズ喜多川、松本人志、椎名林檎たちはその延長線上にある。確かにこうした天才のいない社会は退屈な社会かもしれないが、多くの子どもたちに対する性的虐待も、猟奇的連続性行為も、新型コロナウイルスの感染拡大も生まれなかった。その基層にあるのは、フェティシズムであり、彼らにとって多くのファンはフェティッシュな存在であり、決して対等な人間ではない。もちろん、フェティシズムのすべてが「悪」だと言うつもりはないし、そもそも一人一人の人間の顔を見ていたら、表現などできない。問題はこうした天才たちによる「表現の自由」が暴走した時に、この国ではそうした自由を戒めるヒューマンライツが一切起動しないことである。

 

この国が「平和」でいられるのは、政治の世界に天才が現れないからである。この国は子供や女性を性的対象のモノとして見ることを許容してきた。

決して少数ではなく、ジャニーズ、ジャニーズファンというマジョリティの支配によりプラットフォームが完成している。

 

SNSでの子どもたちの性被害問題においては、メタ社やアップルなどのプラットフォームの在り方が問題になっているが、この国の性被害は日本というプラットフォームで起きている。ジャニーズ問題では、隠蔽に関わったタレントも含めてスカトロ社に譲渡され、一部のタレントはその泥舟っから逃れ熱りが冷めるまでエンタメ社会の影に潜んでいる。ジャニーズの長男とされる木村拓哉は、ジャニーさんと慕うジャニー喜多川氏の子どもたちへの性虐待について、知る知らない、関わっている関わっていない、被害者加害者など何も語らない。無かったのであれば、無かったと言えばいい。

 

だがこの国のエンタメの世界は、キムタク主演のテレビドラマを許容している。ジャニーズ喜多川の子どもたちに対する性虐待に対して、何も総括出来ていないのにである。それは、この国のマジョリティである。ジャニーズファンが子どもたちにの性被害などより、自分たちの推しアイドルの存在の方が生きる意味において重要なことだからである。この国では日本版DBSやSNSの規制強化などまったく機能しない。なぜなら、社会の隅々にジャニーズファンが蔓延しているからである。学校にはジャニーズファンの教師がいて、警察司法にも、そして多くの母親にもジャニーズファンは存在する。子どもたちの人権や性被害など全く無頓着で関心がない。未成年の少年たちが

フリフリの衣装で上半身裸で乳首を顕にし、満面の笑みでまるで北朝鮮の歌組のように歌い踊る姿を見て、興奮し萌え性的官能をおぼえる。

 

 

ジャニーズファンの存在は、

この国の絶望を感じる