まずは国が「おもてなし」という恣意的な「差捌」を撤廃し、主客は「対等」であると宣言することで、カスハラという概念は消滅する。客が大声で威嚇したり、身体に接触する行為は全て「暴力」であり犯罪行為となる。カスハラ、パワハラなど、そんな定義遊びばかりしていて面白いか。こんなプロジェクトチームを作る必要などない。カスハラを行う人間など、「おもてなし」という免罪符を取り上げれば、堂々と「暴力」を振るう勇敢は、持ち合わせていない。それでも迫る客がいれば、店側も堂々と「暴力」で対峙する覚悟は必要である。いくら防止対策を取っても最後は戦うしかない。そうして、この国の人間は「対等」とは、一体何なのかということを学んでいくべきである。「対等」は書物の豆知識で得ることはできない。多くの日本人は臆病者で、いつもビクビク周りの顔色をうかがい、ヘラヘラ謝ってその場を過ごそうとする。それは、日本人のセロトニン不安因子やドーパミンの欠乏などのゲノムの特性の問題であり、人間の関係性を上下に当てはめないと落ち着かない。強いものには従順に媚びる反面、弱いものに対しては集団で抑圧する。カスハラはその象徴である。そもそも、何でも法律頼みで、戦いもしないで平和や安全、平等を求める時点であまりに虫が良すぎる。憲法が国民を守るのではなく、国民が「不断の努力」で憲法を守ってあげなければならなかった。この国のあらゆる議論は不毛である。とにかく決まったこと、決められたことを守らないのだから