安全保障、とくに外交安全保障に関する考え方や、憲法、天皇制……国体に対する考え方が違いすぎる

考え方が違うというのは、それは「副詞」が違うだけで、自民党と共産党の「動詞」には大きな違いはない。共産党志井前委員長は党名変更を問われた際、共産党はロマンだ言い切った。私はとても正直な人だと共感をおぼえた。過去の大学闘争においても、あれほどの民青と新左翼の対立があっても、年数が経てば同じように恋をし、結婚して家族を持てば、日本人は皆同じような「自民党」人間になっていく。例え、立憲や共産党に投票しようが、「自民党」と言う大きな幾何の中で、書物の形式知を論じているに過ぎない。若い世代に国民の意識にあるのは、自民党に反省してほしいということであり、立憲民主党に期待しているわけではない。政権交代など起こらないし、例え起こったとしても、国民の意識として立憲民主党の支持が継続しない限り、すぐに政権は崩壊し、やっぱり自民でないとと言うことになる。どの道この国は、現状の民主主義ではどうにもならない。といって極左や極右も生まれない。何をやっても無駄、ただひたすら腐って行くしかない。重要なのはその後である。腐り果てた国土に、どのようなのオルタナティブを構築するのかという準備をしておくのが、今を生きる人間の未来世代に対する唯一の責任の取り方である。今、花や果実の話をしている人間は決して信用してはならない。わたしたちが、しなければならない議論は「種」のそれである。この国の予測や分析がどれほど政治的であり、新型コロナウイルスやそのワクチンによる副作用(有害事象)において、多くの死亡者や自己免疫疾患による重篤な後遺症患者を生んだのか、よもや忘れたわけではあるまい。政府や専門家、カンニング竹山のようなコメンテーターたちの、形式知、豆知識など全く当てにならない。この国の生産や経済、環境や自然災害、そしてウイルスや薬害有害事象、全て自分たちの経験知、暗黙知、プリミティブな反知性な智慧で乗り越えるしかない。ワクチンのスパイクタンパクは全身のあらゆる部位や臓器で暴れ出す。もちろん、1回2回はワクチンの正体は不明でありながらも、プラセボ効果もあって、その有効性はリスクを上回ったのは事実だが、それ以降特にオミクロン登場後は、その感染防止や重症化の抑止のエビデンスも全くないままにワクチン接種の喧伝を繰り返している。しかも、それは政府や厚労省、専門家だけではなく、マスコミメディアのコメンテーター、あろうことか、カンニング竹山のような、お笑い芸人のコメンテーターまでが、ワクチン接種の有効性を何の根拠も臨床もない中で、大きな声を張り上げてきた。つまり、この国の最大のパラドクスは政府や厚労省などではなく、カンニング竹山のような人間であり、新型コロナウイルスもmRNAワクチンについても、全く「不明」とされる中で、政府や厚労省が完璧を求めるのは酷であり、懸命に動いた結果間違いであれば、率直に認める後遺症患者に対しては、3億から400億規模の次元ではなく、たとえその何十倍かかろうと被害者と真摯に向き合うことが国家としての筋である。ワクチンによる後遺症は深刻である。自己免疫疾患というのは、いわゆる原因の特定が困難な「難病」に分類される。厳しい言い方になるが、新たな薬剤による治療は確立しておらず、自己の正しい免疫の力で新しいバランスを築いて行くしかない。心配なのはワクチンによるエピゲノムが将来世代に伝承されていくことである。一体誰が責任を取れるのか。もちろん、ワクチン接種は強制ではなく、自己の判断によるものであるが、国民にはそれを判断できる情報、特にワクチンに対する不利な情報は、一切公開されていなかった。何よりも断罪しなければならないには、多くの人間の命を奪い、後遺症により多くの人間の人生を台無しにしたのは、カンニング竹山のような人間である。多くの人間は、ワクチン接種については迷っていた。その有効性や安全性に疑いを持っていたはずだが、その背中を押したのはカンニング竹山のようなお笑い芸人による無責任なコメントである。一般国民は、政府広報や科学者の論文など見ることはない。テレビのワイドショーでのコメントに動かされる。残念なことに、日本という国の何もかもが信用も信頼もできない。そのベースグラウンドも一から作りしかないのである。それが夫婦なのか親子、家族なのか、小集団の地域社会や生産のパブリックなのか、わからないが、行政区分の地理概念とは異なり、人数規模ではなく、「副詞」ではなく「動詞」の共有できるパブリックが未来社会におけるゲマインシャフト(基礎自治体)になる。そのためには、自己のアイデンティティを他者に伝えるアーカイブを記した「ノート」が必要になってくる。オルタナティブな「ノート」では、誤字脱字や品詞と文型のアンバランスな表現が特徴だ。つまり、AIではない、人間の手書きによる本心を証明できなければ、決して信用したり、信頼したりすることなどできない。つまり、AIと恋をしても何の意味もないということだ。この国の政治家がいくら立派な政策をきれいな言葉と文体で国民を欺こうとしてもそれはもう無理である。日本人は嘘ばかりついている。世界はこの国をそのように見ている。子どもたちや若い世代が最も息苦しいのはそこにある。子育て支援などいくらしても、少子化は止まらないのは当たり前だ。スマホの向こう側にもう一つの世界があり、どちらが現実で、どちらがマトリックスなのかわからない。決してデジタルの全ては悪いということではなく、情報であれ、サービスであれ「モノ」としての触感のないものを基盤することは