小泉進次郎氏が万が一にでも「次の首相」になれば、日本はもう「回りくどい北朝鮮」である。世襲の全てを否定するわけはないが、小泉家はこの国の政治にとってよくない家系だと言える。小泉純一郎氏の功績についての賛否は別れるところだが、政治を家業とし、良くも悪くも安倍家のような筋の通った理念を持ち合わせない。日本という国は、発展段階としてまだ民主主義は無理だと思う。国家主権と国民主権は一つの器の内側と外側であり、日本の場合どちらもないから争いは起こらず、奇妙な均衡を保っているが、このつけはこれから生まれてくる将来世代が被ることになる。現在の若者世代は、そういう社会の被害者ではなく、むしろ主力的に支えている加害者の側にいるという認識がまったくない。平和主義、自由平等、人権について、書物による豆知識、形式知の流行言語を弄んでいるだけで、ジャニーズ問題でさえ、見て見ぬふりの無関心ぶり、自らの生活の平和安定のために被害者に対して誹謗中傷を繰り返している。一体、なぜ被害者を叩く必要があるのか。被害者は関係ない。わたしたちがやらなければならないのは、決して被害者の救済ではなく、ヒューマンライツを起動させることであり、被害補償の一義的な主体は被害者自身にある。もちろん、ヒューマンライツの結果として被害者補償の一助になることは素晴らしいと思うが決して目的ではない。自分たちの国や社会のため、未来世代のためにヒューマンライツ、国民主権を確立することは、全世代に突きつけられた重要命題なのである。