当たったら喜び、外れたら罪悪感から慌てて知らんぷりをしたり、弁解する。

大谷問題の真実は「闇」に葬られた。これがファクトである。誰も当たっていないし、誰も外れていない。連邦捜査局は「不明」として、この問題を帰結させた。そしてそこには誰も到達することはできない。もちろん、アバウトに言えば、大谷は「白」、水原氏は「黒」ということになるが、大谷の場合、アンバサダーを務めていたFTXトレーディングの破綻事件の前科もあり、ハワイの別荘購入やスポンサー絡みでの金銭問題に関しても決してクリーンだとは言えない。もちろん、そのことと野球人としての評価は関係しないが、大谷を何か神やスーパーマンのような扱いをする、日本のマスコミメディアや日本人は、もはや滑稽の領域にあると言っても過言ではない。どちらかと言えば大谷は、「変人」、「変わり者」の類に属し、その発達過程も30歳の大人に到達していない。おそらく高校2年くらいで時間が止まっている。つまり、ピュアな野球少年の心を失っていない。大谷にとっての未来は、次は高校3年生で、未だにグラウンドの以外の社会の風景は、大谷の網膜には映っていない。しかし、ようやく思春期を迎え、恋をするようになった、野球少年がやっと色気づいた。それが大谷の時間性であり、三浦瑠麗氏のような社会の垢に塗れきった、穢れた大人が大谷についての何かを語るべきではない。