「自民党を批判すると『反日』呼ばわりする構造とおなじ。維新=大阪、自民=日本ではありませんよ」

松尾氏の大阪じゃありませんよ。という主張は「地理概念」を指し、政治文化習俗としての大阪を維新=大阪として揶揄されてもそれは仕方がない。もちろん大阪人も細分化され、ネイティブ土着の大阪人と地方からの移住者とは全く異なる。移住者は大阪という「田舎暮らし」に適応するためには、大声で喋り、大阪流のお笑いのメソッドを踏襲し、あつかましさを装着しなければ大阪では生きていけない。人の悪口や差別を笑いに転回していく新たな大阪人にならざるを得ないのである。そうやって、大阪人は増殖していく。もちろん、北摂の豊中箕面には、とても大阪とは思えない洗練されたロケーションの地域があり、洗練された奥さま族も生息しているのも事実だが、基本的に大阪には東京に対するアンチが基層にある。東京の悪臭をフローラルに成立させることがネイティブ大阪人の美学である。だからこそ、「維新」の腐った臭いも心地よい香りに感じるのも大阪ならではある。しかし、それは東京では小池、静岡では川勝、愛知では大村など、別に大阪に限ったことではない。