松本人志に引導を渡すのは裁判官ではなく、様々な場面で性被害やいじめに苦しんできた女性や子どもたちである。人権問題は決して法的マターではなく、司法の理路をなぞる必要は全くない。A子さん、B子さんが警察ではなく文春に訴えたというのは大正解であり、その結果、この国に初めてヒューマンライツが、起動するかもしれないトリガーになったのは紛れのない事実であり、それは被害者である女性が勇敢に声を上げた結果なのである。ヒューマンライツは書物の法律論ではなく、被害者や被差別者は、加害者や差別者に対して「礫」をぶつけることである。つまり、石を投げることだ。これは女性の人権を主題とする幾何の戦争、つまり松本人志のこれまでの直接的間接的な性加害だけではなく、女性差別、いじめやパワハラに苦しめられてきた「被害者」は、勇気を持ってその手に石を握りしめてほしい。その根拠は過去の「体を使って」発言だけで十分である。それでも納得できないのであれば、松本の過去のアーカイブを検証してみればいい。松本の行ってきたのは、「いじめ芸」、「人権侵害芸」、「誹謗中傷芸」であり、この国の人間は40年もの間「いじめ」や「人権侵害」を笑ってきたのである。つまり、目には目を、松本人志に対するあらゆる言葉の「礫」において、「誹謗中傷」など当てはまらない。松本人志をこの社会から退出させるまで「礫」を投げ続けるのは人権行為であり、ヒューマンライツのトレーニングだと言える。決して大げさではなく、この国から「いじめ」の最大の原因を撲滅するチャンスが巡ってきたということだ。