投票箱に緑のインクとみられるものを流し込む若い女性の姿が見える。

 

投票箱の放火など女性の姿が目につく。この国ではこうした「脱法」行動が起こると政治プロの仕業とはやし立てるが、ロシアの女性だけではなく、世界の女性たちの「参政権」に対する執着心は日本人には理解できない。イギリスのサフラジェットであるエミリー・ワイルディング・デイヴィソンは、最も権威あるダービーで猛スピードで走る国王の馬に跳ねられ死亡した。その手には「参政権」というスカーフが握られていた。そうしたアクティビストの過激な行為は、当時よりテロリストと呼ばれてきたが、この国の歪んだ法治主義によるテロリズムと市民的不服従の境界の議論は退屈でしかない。あらゆる議論の基層にあるのはただただ戦いたくない。これがこの国の平和主義であり、平等主義だ。そもそも様々な運動や闘争のシーンで、立派な聖人君子のような女性アクティビストなどお目にかかったことがない。全てくせ者揃いである。例えマザー・テレーザやヘレン・ケラーが聖人君子でなかったとしても、少なくともジャニーズファンよりは、義憤に溢れ、純粋で勇敢な人間であることに違いない。

 

4月から放送が始まるNHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」では、女性として初めて弁護士・判事・裁判所所長となった《三淵嘉子》の生涯が物語となる。奇しくも同じNHKドラマ『風よ あらしよ』が映画化される。大正時代、筆一本で結婚制度や社会道徳に異議を唱え続けてきた婦人解放活動家であり文筆家でもあった伊藤野枝の生涯が描かれている。

「美はただ乱調にある。諧調は偽りである。」は、大杉栄の言葉だが野枝の波乱万丈な人生を表している。

 

吹けよ あれよ 風よ あらしよ

 

この国の少女たちには、これまで世界で展開されてきた女性たちの「百年の戦い」、そしてこれからの「百年の戦い」に自らが主体として没入してほしい。

この国の今の大人たちのように、口先の綺麗事ばかりで、ジャニーズ問題や松本人志問題など、眼の前の矛盾に目や耳を覆い何も戦いもせずに、ジェンダー平等やダイバーシティの詩や音響映像にイマーシブ/没入したいのであれば、セカオワのライブにでも行ってみれば、少し哲学的な気分に浸ることができる。今の大人たちにはそれで十分なのかもしれないが。

 

この国の「お茶の間民主主義」は、昔も今も「政局」にばかりうつつを抜かし、日本初の女性総理大臣は「上川陽子」などと大はしゃぎしているが、この国の少女たちにとって、「上川陽子」と言うワードなど全く論外、何も関心も必要としない。もちろん、バイデンやトランプでもなく、その射影幾何は、その次の世代の世界の在り方についてである。バイデン、トランプの次の次、つまり、ニッキー・ヘイリーやカマラ・ハリスの次の世代のことだ。RBGを師と仰ぐヒラリーは、ガラスの天井を打ち破ることができなかったが、あとに続く挑戦者は世界には多く存在する。RBGとは、元アメリカ連邦最高裁判所判事ルース・ベイダー・ギンズバーグのことであり、この一人の「戦った女性」の残したものは大きい。RBGチルドレンの一人であるであるジェニファー・キャロルフォイら女性政治家たちの登場に期待したい。

 

この国の次世代の担う少女たちには、世界の大きな幾何に没入してほしい。君たちの力でホワイトハウスをはじめ世界の女性政治家たちに接近してほしい。これは決して遠い未来の話ではなく、30年後の2055年の話である。一枚のアーカイブを構築していくことが重要。決して、難しいことではない。今からノートロジーが展開され、30年間のアーカイブ/記録のアートで、世界中の女性政治家や女性アクティビスト、ジャーナリスト、そして、世界中の難民の少女たちにと同じノートロジーを共有するんだ。それは、まるでステーショナリーのような革命なのである。