まるでSM緊縛パーティのような様相を呈する写真に収まる人物は、いずれも自民党埼玉県連の青年局に属する県議たちなのだ。

ここまできたら、この国は性表現のダイバーシティについての、真剣な議論を展開すべき。もちろん、自民のおっさんの県議の緊縛など誰も見たくないが、縄による縛り表現は、ロープアートとして世界に通用する極めて高度な芸術表現であり、鞭やスパンキングなどのSM行為は単なる性的快楽を超えたセラピーの領域にあると言っても決して過言ではない。

 

個人的には例えルッキズムや年齢差別と言われようが、男女問わず自民議員の中年の醜い肉体のSM行為などとてもじゃないが理解できないが、SMはだめ、政治家はだめというのはおかしいと思う。だめならだめで、一体どこがだめなのか徹底した論争が必要である。論争あるいは戦争もしなくて、ダイバーシティなど唱える人間が最もうさんくさい。そもそもこの国の人間は、ジャニーズの男色や児童ポルノ、松本人志の女性を性玩具とするフェティシズムや上納システムのアプリオリはみんな秘めている。立派な人間のふりをするのは、そろそろやめにしたほうが、この国の子どもたちに未来のためでもある。

 

この国の人間は、SMやセクハラ、児童ポルノ、性玩具とするフェティシズム

が大好きであり、一方で性に対する自信もなく、断られる恐怖、拒まれる恐怖により、性の戦いを好まず、日本の男性は、性的に正々堂々と対等に女性と戦い、そして、女性を喜ばせるだけの経験も力能も持ち合わせていない。

後輩芸人に上納させたり、グルーミングで未成年の子どもたちに強姦したり、一般社会においても、金銭的なトレードやセクハラパワハラによってでしか、女性の肉体にアプローチすることが出来ない。

 

いい格好ばかり言っているからじゃないのか。自分で自分の首を締めている。同意であれ不同意であれ、女性が被害を主張すれば正々堂々と自分の主張を行えばいいものを、もちろん自らに非があれば謝罪し、そうでなければ貫けばいいだけのことを、コソコソ逃げ回り、挙句の果てには法的マターとして裁判所に裁定を求めるなど、ホント、バカじゃないのか。そしてこの国には、そんな人間を擁護する人間が、これまたびっくりするほど多く存在する。

 

この国の最大のパラドクスは、戦わないことだ。こんな国は世界中どこを探しても存在しない。戦わずして、真顔でダイバーシティや共生、おもてなしなどという言葉を使う。100円を握って買い物に来た子供に対しても、おもてなし、お客様などと言っては戦うことをしない。言い換えれば対等な立場で向き合おうとしないということである。とにかく、ヘラヘラ笑って頭を下げる。戦わないことが楽だからだ。

 

自分の性癖を正々堂々と表明できないくせに、オープンだのトランスペアレンシーだの、ダイバーシティなどとカッコいい言葉を使うんじゃない。私個人としては、選挙には決して行かないのは、こんな議員を生み出すことに加担したくはないからだ。別に投票行動だけが政治活動ではなく、自分にはもっと合理的で壮大な政治的な幾何を描いている。今の社会を変えようとは思わないが、自分たちには自分たちのやり方がある。100年の時間性で、次世代の子どもたちとオルタナティブな世界を構築するつもりだ。だから、国会議員がSMに興じることなど別にどうでもいい。それが例え税金であろうとなかろうと。国会議員などそんなものである。全て没交渉だ。どのみち、この国の政党や議員ではこの国は守れない。「別班」で対応するしかない。

 

と言っても、社会的規範は遵守しするのは当然で、交通ルールは守るし、納税も行う。決してテロリズムには走ることもない。というより、僕たちの革命はテロリズムは全く必要としない。これからは具体的な行動で示していくつもりだ。