自民党の一体誰が仕掛けたのかわからないが、

この自爆テロのおかげで、

裏金問題における政治とカネの問題が見事に吹っ飛んでしまった。

 

お見事としかいいようがない。

 

「信じられないような余興、性的もてなしがあった」

 

ジャニーズや松本人志問題でも登場する

この国お得意の「性的もてなし」。

 

こういうことが起こると、

この国では「性的」ばかりがフォーカスされ、

もてなしに罪はなしということになる。

 

日本がこの諸悪の根源である「おもてなし」と

決別しない限り、このような問題は形や姿を変えて

永遠に続くことになる。

 

そして、女性の体はモノとして扱われ、

男性のもてなしのために献上されることになる。

 

日本は松本人志の「体を使って」発言が

許容されている国なのである。


自民党は、社会の感覚とずれているという批判もあるが、
的外れ、全くずれている
これは、日本社会の縮図である。

女性がいたらという、クォーター推進の火事場泥棒のような

批判もあるが、例え現場にいても、止めるような女性議員が
いるとは思えない。
 

エッフェル姉さん
赤ベンツ不倫疑惑、時代錯誤だという批判もあるが、
「性的なモノ・コトではしゃぎたい」

これがこの国の人間の永遠のニーズである。

 

 

 

とにかく日本人は良くも悪くも堂々と性的な表現が出来ない。だから、こうしたニュースが飛び込んでくると、とにかくうれしい。性的テーマに触れることができ、理性的な人間を演じながら、誰かをいじめることができる。ワクワクがこみ上げてくる。こうした問題が起こると、東国原氏のような人間が「いかがなものか」と騒ぎだす。こんなもの、いかがも何も不適切に決まっている。それ以上でもそれ以下でもない。ジャニー喜多川や松本人志のフェティシズムや女性人権の核心には侵入せず、性的なゴシップやスキャンダルに大はしゃぎする。

 

松本人志問題では、性行為の同意不同意を焦点し、人権問題を法的マターに矮小化し、有罪でなければ問題なしとする相当数の松本擁護の人間が存在する。子どもに対する連続レイプ犯罪であるジャニーズ喜多川問題ですらまともに総括できない国である。どうしても女性や子どもの人権問題にはしたくないようだ。

 

ところが、ポップで性的なゴシップとなると、下着姿のダンサーだの、体に触れただの、口移しだの、国民総立ちで大はしゃぎが始まる。

 

韓国の人気女性DJ「DJ SODAの大阪で行われた「MUSIC CIRC US、23」でのパフォーマンス中に複数の男女の観客から胸を触られる性被害にあったことは韓国でも報じられた。乃木坂であれ、ジャニーズであれ、ライブで観客がパフォーマーに贈答するような行為は日常茶飯事ではないのか。自民議員がいやがる女性に対して、権力をかさに下着姿でダンスをさせたのであればともかく、プロダンサーのパフォーマンスに口移しでチップを差し出すことの一体何が問題なのか?

 

これはセンスの問題である。

観客である自民議員が、ダイバーシティのエロチシズムエンターテイメントを鑑賞するファッションのマナーコードを持たなかったことが問題だと言える。ライブ観客全員がオッサンでネクタイにスーツ姿であること自体気持ちが悪い、とダンサーたちは思ったはずだ。

 

 

国会議員は、国民の写し鏡であり、国民の影である。そもそも、下着じゃないだろ、DJ SODAと同じ下着風のステージ衣装じゃないのか。もちろん、批判するのも「表現の自由」の内側にあり、批判自体は否定しない、むしろ批判であれば健全だと思うが、問題は真剣な批判ではなく、ただただ、ポルノ、セクハラ好き、不倫、援助交際、パパ活好き、実行するには勇気もなく、こうした話題にとにかく興味しんしんで、自分自身の日頃のストレスや抑圧からの発散や解放に利用しているところである。自民議員の行為に対して、本気で怒りをおぼえるのであれば、行動で示したらどうだ。

 

とにかく、東国原氏あたりが、はしゃぎだしたらおしまいだ。この国の異様さは、このようなスキャンダルに対しては誰も真剣に怒っていない。むしろ腹の底では大喜びしているところにこの国の闇がある。

 

そもそも、そんなに批判されるべきことなのか?記者もツッコむし、テレビコメンテーターたちによる批判を繰り返しているが、本当はこうした問題が起こるとこの国の人間はうれしくてしかたがない。過去の号泣の野々村竜太郎氏や吉兆のささやき女将と同じ類いの、普段目にすることない奇妙で破廉恥な事象、その光景、命にも関わらず、政治的宗教的な背景もない。そして被害者の見えない安心感、当事者からの反撃もなく、どこからも圧力のかからない。ふわっとした性的倫理の問題は、誰もがヒーローコメンテーターになれる。誰にはばかる事なく正義を振りかざして、他者を罵倒する事ができる最もシンプルに攻撃しやすい主題なのである。

 

もちろん、過激ファッションのダンサーに対して、口移しチップなど決して褒められるものでもなく、「多様性」の必死の弁解も滑稽で、珍妙であるのは違いはないが、本当にこれはそんな極悪行為なのか?男性であれ、女性であれ、ベテランであれ、若手であれ、国会議員に限らず、この国の「大人」など、こんなものである。この国の国会議員に対して、何を言ってももうどうにもならない。しかし、有権者が投票を続ける以上選出されたら、全国民の代表となる。

 

この行動が単なる自堕落、助平おっさんの遊興なのか、何か大きな「討ち入り」の前に、敵を油断させるための大石内蔵助の「深謀遠慮」なのか、つまり、こうしたパフォーマンスがこうした場、つまり、国民の税が投入された場で「市民権」を得ることは、この国のエンターテインメントの先進性を訴求することにもなる。現在の議論は、ダンサー=「悪」、下着ファッション=「悪」を前提とした議論だが、夏場になると若い女性の下着風ファッション

で街が溢れかえる。個人的には鬱陶しい風景だが、それを「表現の自由」だとしている以上、国会議員の政治活動にも「表現の自由」が存在する。

 

こんなこと議論しても結局何の結論も得ない。この話題に飽きたら、すぐに忘れる。良くも悪くもこれが日本人である。

ただ、女性の立場は違う。

もっと真剣に戦えよ。

性的もてなしの