この女性の証言が事実だとしても、それはまた別の話。つまり、オセロゲームの「死に場所」に石をおいて、まわりの色が少し変わっただけで、松本人志のいじめ芸、女性人権、フェティシズム、上納コンパシステムなどの、松本のアイデンティティの四隅が、完全に抑えられている以上、もうどうにもならない。そもそも、同意不同意や裁判の判決など四隅に入ることはなく、このゲームには何の影響もない。この女性のような事言いだしたら、松本の罪は他にもいくらでもある。例えばガキ使の「やすしくん」だ。女性を性玩具とするフェティシズムも醜いが、自分たちの大先輩を例え犯罪を起こしたからと言って、モノ扱いにして嘲り、笑いものにする。そして、そうした「いじめ芸」は、横山やすし本人の死後も続いている。死者に対するフェティシズムである。この国ではこうした「いじめ芸」は許容範囲のようで、もちろん表現者の松本人志自体に、問題があるのは当然だが、最大のパラドクスは、それを何事もなく許容し、大はしゃぎする日本人のアプリオリについてである。