「ありすぎる時間差が気になる」 

 

杉下右京にでもなったつもりなのだろうか?もちろん、年齢による経験知識の発達段階があり、決して完璧なコメントを求めているわけではないが全く「心」がこもっていない。同じ女性として、告発者女性に同調するもよし、売名、金目当てだと批判するのもよし、この問題を他人事してではなく、真剣に向き合っている証拠である。それを「ありすぎる時間差が気になる」などとカメラ目線でたっぷり間を取って、そんなオッサンと同じようなことを言ってて面白いか?

 

松本人志問題において、この国の女性は
一体何がしたいのか。

テレビ弁護士の橋下氏は「弁護士が入ると、法律、裁判というのを念頭に置きますけど、公でテレビ出演なんかしている者は法律だけじゃなくて、社会の規範というかスポンサー企業が求めてる、視聴者が求めてる規範というものを意識しないといけない」と指摘しているが、オッサンのコメントなどこれくらいでいい。松本人志問題は男性にとっては、ゴシップ、スキャンダル、性の倫理やマナー、そして性加害など法的マターの領域だが、女性にとっては、命や人生に直結する深刻な女性人権問題である。

ところがこの国の女性弁護士、女性キャスター、女性コメンテーターたちはオッサンと一緒になって裁判の推理ゲームに取り憑かれ、問題の核心をグリップできなかった責任は大きい。この問題の核心は、フェティシズムについてである。そう意味では、問題の幾何は、「体を使って」発言などを中心ににしなけれなば、フェミニズムが展開できない。
「体を使って」というのは、「fuckを利用して」ということである。一度世界中の女性に聞いてみてほしい。差別発言の頂点だよ。これで女性が怒らないというのが不思議でならない。だったら麻生氏の「ブス発言」なんかのルッキズムくらいで騒がないでほしい。ジャニー喜多川でも、松本人志でも怒らないというのが、この国のフェミニズムのレベルであり、これでは男女平等もクソもない、人間としての尊厳に対して女性自身があまりにも鈍感すぎる。ジャニーズファンや松本人志擁護の女性は、位相的には麻生副総理と同じ位相に存在していると言わざるを得ない。よくジャニーズなんか応援できるよ。

彼女たちは、女性人権やジェンダー平等が空から降ってくるとでも思っているのだろうか。男性や外から誰かが用意してくれるとでも思っているとしたら本当におめでたい。女性の人権は女性自身が獲得しなければ何の意味もない。世界の女性たちは「参政権」を得るために、命懸けの闘争を繰り返して手にしている。
「体を使って」で怒らない女性って一体何なのか、本当に意味がわからない。松本人志の問題を男性弁護士と一緒になって、何の経験も専門でもないのに、裁判や判決についての分析や予想を繰り返している。
だいたい、テレビの女性弁護士の分際が、名誉権侵害の裁判など経験したことないだろ。

 

 


例え無理であろうとなんであろうと、この松本人志問題の「基点」を「体を使って」発言に移行させる。松本人志がいなくなろうと、「基点」は変わることはない。そして、フェティシズムやヒューマンライツについての大きな議論を起動させる。松本人志の退場は、法の力に頼っちゃいけない。性犯罪やスキャンダルではなく女性によるヒューマンライツの力でなければ意味がない。

一体、何のためって
決まっているじゃないか。
これから生まれてくる
次世代の「少女」たちのためだよ。

すでに大人と子どもが対等に話をする時代に突入している。大人だから、親だから無条件に偉いはもう通用しない。子どもたちに胸を張れるのか?
ジャニーズも松本人志も、法に頼らなくてはなにも出来ない大人が、子どもたちの純粋な問いかけに応えることができるはずがない。これからの子どもには、社会は複雑、現実は厳しい、生きていくのはたいへん、大人になればわかるなどと、いいくるめられないぞ。とにかく、繰り返していくしかない。何年かけても、例え数人でも自分のためではなく、次世代の子どもたちのことを思いやれる女性が、現れたらわれわれの勝ちだ。笑われるのは芸術の宿命だ。われわれ反知性の人間にとっての最大の武器はそのしつこさにある。とにかくひたすらドットを刻むことによって、やがて、ビッグピクチャーを完成させる。日々の業務に追われて、例え面倒くさくても、自分の言葉で、文法や誤字脱字など気にせず、アーカイビングしていくことが、われわれにとって重要なプロローグなんだ。残念だが日本というヴィークルは必ず溶解する。私は世界中の子どもたちにとって、信頼できる大人であるために、難民の子どもたちと堂々と夢や希望、そしていっしょに工作ができる人間でありたい。そして、それはもうすぐ翻訳の未来がやってくる。すばらしい未来だ。