この世で最も凶悪な犯罪は、子どもの「性的虐待」である。殺人事件よりも罪の深い「魂の殺人」だと言える。だがこの国では無関心に放置されているのが現状だ。その基層にあるのが、すべての日本人の深層にあるフェティシズムである。女性や子どもをモノ扱いするのは決して、松本人志だけではなく、誰にでも内在する神道アミニズム国家である日本人のアプリオリなのである。松本人志はその箍が外れただけ、女性や子どもに対する、性加害、性虐待は誰にでも起こる。だからこそ、そういう視点で松本人志の問題を展望しなければならない。日本の子どもは想像以上に高い頻度で性虐待、性被害に遭っている。大人が見て見ぬふりをして、被害経験に耳を傾けないため、子どもたちは被害を親にも言えないまま成長し、自傷行為を繰り返したり自殺願望を抱えていることが多い。松本人志は、テレビ番組で「体を使って」という言葉をジョークで使った。そして視聴者は相手との信頼関係の問題として、この絶対差別発言の重大な意味が理解できない。海外だと発言者だけではなく、番組やテレビ局が吹っ飛ぶほどの大事件になる。過去にも橋下徹氏は、「戦場と性」の問題で、女性に対するフェティシズムは必要悪だと発言し、大きな批判を浴びたが、この国ではパチンコなどのギャンブルと同じように、風俗などの性的サービスが普通の街並みの中で普通に営業をしているし、普通に児童ポルノ雑誌が販売されている。一体「松本アウト」の中身とは一体何なのか?ジャニーズ問題や松本人志のフェティシズムを暴いたのは「週刊誌」だった。この国の報道やジャーナリズムは一切展開できない。テレビ出演の弁護士やコメンテーターたちは、裁判の行方について分析や予測で大はしゃぎしている。同意であろうと不同意であろうと、松本の一連の行為は、重篤な女性に対する人権侵害であり、法的マターに矮小化すべき問題では決してない。彼らからはジャニーズから松本人志に至るまで、ヒューマンライツやフェティシズムという言葉は一切出てこず、「性加害」などと一体どのように英訳していいのかわからない日本文学により、国全体で問題の本質から目を逸らす。そもそも、「体を使って」で怒り心頭にならない、この国の女性たちの神経が信じられない。何もなかったかのようにジャニーズタレントを応援するジャニーズファンの女性たち。数百人の子供たち対して性的暴行や虐待を繰り返した凶悪犯罪を今も隠蔽しつづけているキムタクらの古参アイドルたちを応援し続ける。松本人志もキムタクらの沈黙の成功事例から学ぼうとしている。政治の裏金問題も重要だが、いくら法整備しても、こんなものどうにもならない。子どもや女性の人権が守られない国に未来はない。松本人志がどこでどう野垂れ死にしようとそんなことが問題ではないし、松本人志は表現者であり、権力者でもあり、社会が松本を擁護するようなことはあってはならない。「体を使って」では、批判に対しては「鬼のようにスベった、ウッヒッヒ」のツイートのみであった。
今回問題になっているのは、決して言葉だけの問題ではなく、実際に女性の「体を使って」自らの性欲を満たすという行為を行っている。自らの快楽のために女性の体をモノ/性玩具として扱ったということである。
女性が怒らなければならないのは、決して自分たちの権利についてではなく、子供たちの人権のために女性が怒らないと筋が通らない。女性解放運動の歴史における女性の人権の主題は2つある。一つは参政権であり、そして、もう一つが廃娼である。この国は売春防止法により、法整備はされたが、その構造も機能もこの国の人間の意識の基層にあるフェティシズムにより、これからも厳然と支えられていく。