UB geometric note /

クワドリラテラル・アプローチ

 

 

 

 

 コ・アーカイビング
 

 

コ・アーカイビングは、民族や伝統的な地理的国境を超えて、共通の感性と理想を持っている人々の間でネットワークを形成するフラタニティな記憶と記録の幾何台帳

 

 

 

 

ノートは、個人記憶と記録のシェアリング空間

オルタナティブなパブリックは、

個人が作る「公共の領域」として再定義される。

 

 

アーカイブは《過去における記憶》と《未来における希望と欲求》からなるもの。人びとの情緒は、本来、個人の願望(願い)と記憶(思い出)を基本的な構成要素とする意識現象による活動の中で作成される情報であり、単に収集・保存するだけではなく、ある体系に基づいて編纂し、目的に沿って保存された情報の集合を指す。それは記憶と欲求が混淆し、互いに浸潤し合い、後に新たな感情となって殺到するオルタナティブな平和や平等への概念付与として、その存在を人びとの記憶にとどめておくことが可能なような、そういう公共的な記憶の収納空間が要請される。

 

自分の存在と世界の出来事が結びついていることを、今ほど鮮烈に実感できる時代はない。人と地球と社会の自立と共存をテーマにとした、持続可能な地球都市のパブリックの構築は、決して「政治」の領域ではなく、「芸術」の領域である。そして、民族や伝統的な地理的な国境を超えて、共通の感性と理想を持っている人々の間でネットワークを作成する。コ・アーカイブは、僕たちとっての公共的な記憶の収納空間なのである。 

 

世界の政治や芸術は、2GA/2Generation Ageー少なくとも2世代100年の時間性において表現が展開されている。もちろん、日本人も家族などには、自己の利益よりも親や兄弟、子供など他者の未来遠点を慮るが、その距離は限定的で家族や近隣知人など、その範囲/アバウトが非常にせまく、世界や地球や人類という発想に及ばない。

そして、日本人の意識的な知覚はとんでもなく遅く、そして平気で嘘をつく。人生という「台帳」は一枚限り。日本人にとっての「台帳」の過去現在未来の時間性はせいぜい4年くらいのものである。それはこの国の「衆議院議員」を見ていればよく分かるはずだ。日本人は選挙や投票による他者の評価/ランキングが気になって仕方がない。

 

 

自分の存在と世界の出来事が結びついていることを、今ほど鮮烈に実感できる時代はない。そして、民族や伝統的な地理的な国境を超えて、共通の感性と理想を持っている人々の間でネットワークを作成する。アーカイブは、われわれにとっての公共的な記憶の収納空間なのである。個人の体験エゴドキュメントに基づいたアーカイブはどんな美文脈の法やプロトコルよりも信頼できる。これは、特定の世界観の下で、あらゆる利害関心を満足させる唯一「正しい」方法であり、つねに「真」である。 世界はこの意図的な情緒を基軸とした、それぞれの「国家」、「国民」、「社会」を抗争史が存在し、その和平には決して国家的な発想ではなく、地域の安全と繁栄についてその存在を人びとの記憶にとどめておく「公共的な記憶」が要請される。世界はこの意図的な概念付与をされた情緒を基軸とした、それぞれの「国家」、「国民」、「社会」を抗争史が存在し、その和平には、国家的な発想ではなく、地域の安全と繁栄についてその存在を人びとの記憶にとどめておく公共的な記憶の空間知覚が要請される。記憶の空間知覚と将来ビジョンの構築を視野に入れた、アーカイブに依拠することの可能なカノンとしての外交的・政治的提携関係に変容していていかなければ世界中の紛争が解決することはない。

コ・アーカイビングは、特定の世界観の下で、あらゆる利害関心を満足させる唯一「正しい」方法であり、つねに「真」である。

 

 

 

「難民といっしょにノート/アーカイブを作る」



貧困や差別、災害、紛争による社会的周縁に生きる「難民」たちは、劣悪な待遇や暴力を書き留めていた。ありきたりの美文脈を排し、日常のリアルな現実の言葉を多用した、一見稚拙でその怒りの満ちたノート/アーカイブからの個の徹底した分析の先に、矛盾に満ち溢れた社会の構造が新たに見えてくる。ノート/アーカイブはスタティックな、シンボル的でモニメンタルな表現を超えて、人間の動的なアクションのなかで考え、従来の事実を確定する典拠に使ってきたものを、新たな意味論に捉え直すことにより、無名の人間たちが世界中で群発的に圧倒的なパラダイムシフトを呼び起こすためのコミュニケーションツールとする。


現在SNSなどの世界において、エゴドキュメントは誹謗中傷や差別、排外に満ち溢れている。だが、エゴドキュメントによる記憶のアーカイブ化は、決して一概には「悪」だとは言えない。社会の底辺の絶望的な環境を書くことでそのリアリズムを把握し、芸術や哲学や心理学の守備範囲とされる課題は、熟慮の末で決行に至るまでの、個人の主観性や内面性の変化のアプローチとして取り組んでいく。エゴドキュメントにおける最大の問題は、その表現の自己責任についてである。大衆がこぞって炎上に参加する主因は「匿名」によるものである。この「匿名」こそが最大の暴力であると言える。そのドキュメントの中にいかなる差別や暴力、そして誤字脱字、稚拙で情動的な表現であろうと、それは自己表現のアーカイブとして、個人のシグネチャーの下で堂々と公開されるべきである。それがわれわれの「表現の自由」であり、トランスペアレンシーであると言える。「表現の自由」と差別や暴力は一つの器の内側と外側にあり、一つのゾーンで明滅している。いかなる暴力的差別的表現であろうと、個人の語りが記録された史料の生産、収集、保存を通して、歴史の新たな可能性を開示してくれる。差別や暴力を忌避するあまり、綺麗事や他人事とする無関心こそが、最も最悪なパラドクスである。だが皮肉にもこの国の平和や社会の平等や安定はこの無関心が生み出しているのも事実なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

UBジオメトリックノート

四点射影ー

4つのプロトコル視点/観点で思考する

 

 

 

〈タンデムの4隅分解と抽象化プロセス〉

射影幾何による

対象物の構造を三次元的に理解して描くトレーニング

 

 

 

写像を得るための四隅からの四点射影とは、H(human rights),E(environment),C(community),P(public)の4隅の成分比に分けることにより、各プロトコルの成分量の網点とよぶ微細な点の大きさによって再現される。再データに変換することを4隅分解と呼び、四隅による射影幾何により、光と影を描き分けることによって、モチーフの形を三次元的立体に表現する。モチーフの正面・側面・上面・下面や回り込んでいる形を意識して描くことによって、モチーフの形がどのようにして成り立っているのかを理解する。物理的な立体であれば、そこには無数の視点と無数の理解の道筋があり、それだけで物的存在が人間の知覚理解の限界を超えるものであることが意味されている。つまり,立体は知覚で完結するものではなく,それが繰り返し解釈されることによって浮かび上がる認識のまとまりである。

トポロジーはクオリアの領域にあり、マゼンダとイエローの射影が重なることで初めてリンゴの赤に近づいてくる。この4点射影の幾何の観点で観察することは、創造性の鍛錬になるだけでなく、状況を正しく捉えるメタ認知力の育成にも役立ち、また、表現の本質を把握することにも役立つ。4つの観点から見えてくるのは、進化と創造を磨くさまざまな自然選択の要素だ。適応的な理由と言い換えることもできる。いま、戦略やニーズ、ロジック、問題解決などからスタートする「マーケティングモード」は、いたるところで機能不全を起こしている。その一方で、圧倒的な結果を出している人たちは、内発的な「直観」や「空想」からスタートし、それを駆動力にしながら、具体的な虚構を磨き上げている。このような「直感と論理をつなぐ思考法」のことを、位相幾何/トポロジー思考と呼んでいる。トポロジー思考で生まれたアイデアのなかで、このふるいを経て選び取られたモノは、必然的で最適化されたモノである。しかし、それは完成形ではなく、進化にゴールがないように創造にもゴールはない。だからこそ、変異と適応の往復を繰り返し続け解像度を高めていかねばならない。行動なくして、解像度は上がらない。解像度を上げるには、「情報」「思考」「行動」の「量と質」を高めていくことが必要であり、解像度を上げるうえでは、情報や思考がまだ粗い状態でも行動量を増やす、つまり「とにかく行動しはじめる」ことが重要である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

we have a note

世界の首脳たちが

難民の子どもたちが同じノートを持っている

 

位相幾何学トポロジーで言えば、

このノートで育った子どもたちが

世界の指導者になればいいということになる。

 

 

 

UB geometric note /2800JPY

 

2GA−2025年は2055年の予兆であった

UB geometric note /

 


 

クワドリラテラル・アプローチ

 

 

『四隅が一番大事やから、

四隅だけしっかり作っておけば、

他は少々ぐちゃぐちゃでもいける』

 

 

 

 

クワドリラテラル・アプローチは、4つの既知の点に対する未知の点の角度を、既知の点からではなく未知の点から測定して、その点の位置を確定するアプローチだ。より規模の大きな四角形を最初に測定することにより、測量誤差を最小化できる。そうすれば、その四隅四角形の内部の点は四角形に対して正確に定位位置を測定することができる。

 

人間の「視知覚」は対象の一面のみを捉え知的理解は事象の因果関係だけを汲み上げる。もし考察対象が物理的な立体であれば、そこには無数の視点と無数の理解の道筋があり、それだけで物的存在が人間の知覚理解の限界を超えるものであることが意味されている。つまり,立体は知覚で完結するものではなく、それが繰り返し解釈されることによって浮かび上がる認識のまとまりだと言える。人間が問題状況に対 して柔軟に対応することができるのは、人間の認知システムに形式知を超える高度な直観イマジネーションが備わっており、それはアバウト/曖昧性 を許容する柔軟な幾何に他ならない。

 

プロトコルフォーとは、4つの既知の点/プロトコルに対する、未知の点/プロトコルの角度を、既知の点/プロトコルからではなく、未知の点/プロトコルから測定して、その点の位置を確定するアプローチだ。そして、より規模の大きな四角形を最初に測定することにより、測量誤差を最小化できる。そうすれば、その四隅四角形の内部の点/プロトコルは、四角形に対して正確に、その定位位置を測定することができる。

四隅さえ取れば、最終的に重要なのは、直観とイマジネーションである。因数分解のたすき掛けで、大きな数字を分解したい場合は、直観で当てはめていくしかない

 

 

 

 

 

私たちの次の芸術は、国でも民族でもない、

非国家の紐帯を目指す、

人々の人間(じんかん)のアーカイブに利用される

世界共通のノートを作ることです。

そして、それはまるで、

ステーショナリーのような革命なのです。

 

 

 

         

 

THE NOTE

 

世界を変えたのは

「ノート」の発明だった。

 

この小さなノートは夢であふれていた。

でも、この夢は、

ずっと続くとは限らない

傷ついたり

歪んだりして

形が変わってしまうこともある

ただほんの一瞬でも

世界中の誰よりも輝いていたという証があれば

私たちは生きていける

 

そしていつか

誰かを幸せにすることもできる気がする

 

 

 

 

 

 

プロローグ

 

 

 

 

ジオメトリックノート

解像度を上げるー曖昧な思考を明晰化にする

 

 

アバウトな射影幾何の力が必要

 

 

 

 

 

2GAー100年目の夢

2generation age

 

2025,the Continuation of 2055

2055年のシンギュラリティは、

生成AIではなく、一冊のノートだった

 

2025年は2055年の予兆であった

そして、2055年は重要な点において

2025年の続編であった

 

 

 

 

 

 

 

 

難民といっしょに一アーカイブを作る

 

未来遠点

トポロジーノート

位相幾何学

 

 

 

ステーショナリー

レボリューション

 

 

 

 

HECPノート

 

 

アーカイビング革命

We have a note.

 

私たちの次の芸術は、

人々の人間(じんかん)のアーカイブに利用される、

世界共通のノートを作ることです。そして、

それはまるで、ステーショナリーのような革命なのです。

 

 

 

 

「難民といっしょにアーカイブを作る」

子どもたちの創造の基層にトポロジーを

 

 

 

 

世界の首脳たちが、

難民の子どもたちが、同じノートを持っている

そして、そこには同じ理想が書かれている。

 

僕たちは、そんな未来幾何を描いています。

世界を変えるために、

複雑な関数による分析も、

法律も、マルクスも必要ありません。

僕たちの革命の主題は、脳ではなく遺伝子

構造のアーキテクチャーではなく、機能のそれなのです。

つまり、芸術の拡張です。

 

 

決して、難しいことではありません。

位相幾何学トポロジーで言えば、

このノートで育った子どもたちが

世界の指導者になればいいだけで、

このノートが位相幾何の一つの「穴」になります。

人間はどんどん成長し形が変わっていっても、

ノートが変わることはないのです。

 

私たちの芸術は、

国でも民族でもない、非国家の紐帯を目指す、

人々の人間(じんかん)のアーカイブに利用される

世界共通のノートを作ることです。

僕たちの交響革命で、

脳ではなく、

遺伝子にアプローチです。

アーカイブを

エピジェネティクスに共鳴させていきます。

 

 

 

ステーショナリーのような革命なのです。