松本さん自身はファイティングポーズをとったんだと思うんですよね。

ファイティングポーズって。

ゾウリムシのように、時間稼ぎで逃げ回っているだけ。

松本人志が今まで正々堂々とファイトを表現したことなど見たことがない。そもそも松本の笑いは、爽やかなスポーツマンや勉強のできる人間などの社会に対して堂々とファイトできる人間ではなく、もっと陰湿でコソコソとして、堂々とアピールの出来ない、シャイな人間、偏屈な人間、卑怯な人間をターゲットにしている。高次ないじりの言語学のメソッドを彼らに提供し、クラスの中の、「貧乏人」や「発達障害」「身体障害」、そして、「人種」「ジェンダー」や「ブス」「ブサイク」などの異型やマイノリティを見つけては、いじり、いじめることで笑いが起こればヒーローになれるという成功体験を与えてきた。40年間松本の笑いで育った子どもたちはやがて社会に出ても同じことを繰り返す。それが今の日本社会の姿である。いつもながらの爆問太田の芸人贔屓はあまりに醜すぎる。お笑いという芸術は、人間のクズの芸術、だからこそ松本には差別や暴力など一定の「表現の自由」が与えられていたはずである。ところがあろうことか、松本はそれをエンタメという虚構ではなく、社会の領域で社会人に対して発動した。「生きるか死ぬか」は決して大げさではなく、松本が芸術の真の表現者であれば、「死」を選択すべきである。私ならそうすると思うし、松本嫌いはもちろん、松ちゃんファンや後輩芸人たちも、事実をはっきり語る気がなければ、最後は潔く散って欲しいと思っているはずだ。