文春の意向と、彼女たちの本質と、みんなが話してるテーマがずれている

この二つはもちろん独立した命題だが、決してテーマがずれているということではなく、あくまでタンデムに動いている。照射の角度により、どこを焦点とするかの問題であり、爆問太田の「女性たちの本質」を持ち出して、いつもながらの強者や権力者擁護による「文春の意向」の焦点隠しには辟易する。
つまり、松本人志の問題は、すでに彼女たちの個人的問題から、松本人志の異常性嗜好、後輩芸人らとの共謀による上納システム、吉本興業やエンタメ業界における人権問題へとフェイズが移行していっており、それはやがて2025大阪万博、MeTooや国際的問題へと発展していくことになる。
初動において、松本は事実は事実として認めるところは認め、謝罪するところは謝罪すれば、こんな大事にはならなかった。つまり、自業自得である。
だが、松本人志引退は、棚からぼたもちで社会的には奇跡的な幸運が転がり込んできた。これをいじめのない社会の創設の契機にしなければ、この幸運を与えてくれたお笑いの神様に申し訳ない。