松本人志のこれまでの言動はすべて一枚のアーカイブ/台帳に記録されている。これは芸で、これはプライベートなどと言う詭弁/言い訳は通用しない。その台帳に記されている「すべらない話」は全て「真実相当性」ということになる。つまり、今はAIインターネット技術やDNA技術において「時効」は存在しない。松本人志が子供時代より、

お笑い漫才の訓練のために、多くの「友人」たちに対して、「いじり」と称して「いじめ」や「虐待」を繰り返して来たことは、過去のやんちゃ話として通用しない。私たちはそういう時代に生きている。つまり、8年前も昨日のことも同じ時空間の位相であるという理解が必要なのである。文春の戦略も別にこの件の事実認定に焦点化する必要もなく、とにかく松本人志を叩けばいいだけの話である。叩けば叩くほどホコリが出てくる。だが、これで松本に同情する必要はない。これは松本人志がこれまでやってきた「いじり」と同じなのだから。