SKATRO

スカトロ・エンターテイメント

 

これが僕たちのジャニーズ新会社新社名一連の

動静に対するコンセクエンス(要約)である。

 

もちろん、下品だよ下品に決まっているじゃないか。

しかし、ジャニーズ問題は、この「下品」を避けると

問題のセントラルドグマには到達出来ない。

ジャニー喜多川氏が行った行為の実体を要約せずに、「性加害」などとごまかせば、この国の人間は必ず記憶を操作し、都合の悪いことは忘れ、そして嘘をつき出す。

ジャニー喜多川氏の行ったのは、少年に対する強制肛門性交であり、ジャニーズタレントやジャニーズファンが許容したのは、

決して「性加害」という抽象ではなく、少年に対する「肛門性交」という具象である。

私たちがジャーナリズムを標榜するなら、この「下品」に侵入して、決して被害の表面ではなく、その内側からアーカイブを刻んでいかねばならない。

 

この福田氏の容貌は、どこからどうみても胡散臭いとしかいいようがないが、この国のエンターテインメントを根底から変えて欲しい、あるいは壊して欲しい。この国が腐っているのは、政治ではなくエンターテイメントであり、タレントアイドルを無原則に神などと崇める、ジャニーズファンのようなエンタメ依存の人間たちである。

それは議員と有権者の関係にも通底する、対等な人間としての対話不在のアニミズムによる偶像崇拝である。これは民主主義以前、社会主義以前、封建主義以前、いや縄文時代以前、これがジャニーズファンの時間性であり、こんなジャニーズファンのような人間が、圧倒的に腐ったマジョリティを占める国など世界中どこを探してもない。

 

新型コロナを拡散させたのは、椎名林檎と東京事変の一万人ライブであり、それを強権を使ってでも阻止できなかった安倍政権の弱腰である。時の権力はライブは許して、全国一斉休校で子どもたちに対しては、学校を奪ってしまった。そして、2020オリンピックでは、この感染状況では中止した方がいいと言ったアスリートは、誰一人も出てこなかった。誰一人もだ。とにかく自分さえ良ければそれでいい、これがこの国のアスリートファーストである。

 

また、笑いながら人を差別するのが、他国でみられないこの国の大きな特徴だ。いじめに対していじりという免罪符のメソッドを確立したのは、お笑いの天才松本人志である。エンターテイメントが犯罪を犯しても作品に罪はないなどと大合唱が起こる。そして、罪のない数百人の子どもたちがレイプ強姦されても、ジャニー喜多川氏のアイドル発掘と育成の功績は消えない。そして、稚児であるジャニーズタレントたちは、揃ってその事実を知りながら無言を通し、事務所と一体になり徹底した隠蔽工作を続けている。

 

その間にも一部の狂信的なファンは、被害者たちに誹謗中傷を繰り返し、その事でさらに一人の尊い命が奪われるという悲劇を起こしている。ジャニーズタレントは、それでも我関せずで見てみぬふりを決め込み、何もなかったようにフリフリの衣装で、満面の笑顔で歌い踊り、バラエティーではくだらないトーク繰り返して、番組の場を盛り上げる。そんなことよりも、ファンに対して被害者に対して誹謗中傷止めろと真剣に訴えるべきではないのか。それでは、被害者にの攻撃はジャニーズタレントが、熱狂的なファンをそそのかしていると言われても仕方がない。

 

ジャニーズタレントは、「糞」である。それはジャニー喜多川という強姦魔の「糞」であり、福田氏はその「糞」を食らった。そして、今福田氏の周りに集まっている、40代50代のジャニーズアイドルやタレントは紛れのない「糞」たちである。それがこの会社を率いることになった福田氏の出発点スタートである。決してスターと、ではなく「糞」といっしょにだ。私たちは、福田氏がこの国のエンターテイメントの「糞」を一掃し、世界と渡り合えるようなオルタナティブなエンターテイメントの未来を創造するために、キムタクや櫻井翔ら醜悪極まるジャニーズタレント対する侮蔑と新会社への期待を込めてこの企業をこう呼ぶことにする。

 

スカトロ・エンターテイメント

 

福田氏のスカトロが単なる利益行為や性的嗜好ではなく、新たな創造のための勇敢な第一歩であり、決して「糞」たちの延命のためではなく、自らの手を、いや口を汚して「糞」を社会から排出し、ジャニーズレベルのお遊戯ではなく、完成されたプロの表現者とそれを支えるプロの観客の新たな芽を生み出すことができれば、この国のエンターテイメントの未来にも一筋の光が差すことになる。

 

もちろん、ジャニーズタレントの「糞」を抹殺するということではなく、「糞」が社会の真ん中に在ることの不合理性である。つまり、「糞」はリビングではなく、トイレという位置に在ることで社会は健全に機能する。ジャニーズファンが社会の真ん中からいなくなれば、政治も企業も正しい表現、良いモノづくりに舵を切ることができる。

とにかくこの「糞」を徹底的に差別する。もちろん「糞」としての尊厳を犯すことのない合理的な差別である。そうしなければ、この国は平和で安全なのかも知れないが、とにかく臭い、ジャニーズに代表される異臭で息が詰まる。多くの人間はその臭さに慣れていき、いつしか心地の良い芳香になるかも知れないが、やはり世界から見ればその臭さは異常だ。この国はすでにグローバルを選択しており、ジャニーズについては、国内だけの問題ではない。この匂いにつられて世界中から児童ポルノや性犯罪目当ての人間が集まってくるようなことになれば最悪である。

 

福田氏はこのジャニーズという日本の恥を一層して、日々懸命に社会の中心、あるいは周縁で頑張っている人々の夢や希望、そして安らぎを与えるような、誇りを以て世界に自慢できるような、ヒューマンライツなエンターテインメントを再構築してほしいものである。