「控えめに言っても国民を殺しにきている」


国民などと抽象化するなよ。日本人は殺されることも、死ぬこともない。おおげさなんだよ。何の苦難の現実も知らない国会議員が、軽々しく殺すとかという言葉を使うべきではない。消費税などいじっても何の意味もない。世界を見渡して、もっと大きな議論をしろよ。岸田政権退陣には異議はないが、その理由がこれでは決してない。殺されているのは、ウクライナやパレスチナ、シリアなどの子どもや難民たちである。この国では食パンは99円、玄米は5kg1500円。もやしは29円、190g200gなど内容量に差はあるが、ほとんどスーパーのスタンダードである。これらの食材があれば、そんなにストイックにしなくても、一食200円もあれば充実した食生活を送ることはできる。あとは調理でなんとでもなる。それが民衆の芸術であり、ガストロノミーである。普段の食に対するコストなどそれで充分。というよりも、素食は抗ウイルスの最高の免疫食なのである。この国は家賃は高いが東京以外であれば、3万円だせば立派な家を借りることができる。自分のセンスでリノベすればいい。家は災害があれば壊れる。もちろんアッパー富裕層は、災害にもびくともしないシェルターのような邸宅で暮らせばいいが、無駄に広くても掃除や管理がめんどくさいだけ。これからは、小さな小屋(バウヒュッテ)が主流になり、最適なモデュロールで合理的な生活をしている人間がおしゃれとされる。つまり、年間100万円もあれば充分にアートな生活は実現可能である。もちろん稼ぐとは悪いことじゃないが、稼ぐ意味もない。わざわざ中国人や外国人で溢れた国内外の観光地に出掛けるなら、少し贅沢な自転車で普段通らない生活圏の裏側をポタリングするだけで新しい発見がある。よほどの田舎でない限り、ワンマイル圏内には公園やベーカリーや雑貨のお店はある。余ったお金は全て自分の好きなことに使えばいい。そして、余った時間は少しだけでも本当に苦難さらされている世界中の女性、子どもたち、難民たちのために使うべきである。
今の日本人は、誰も殺されることはない。この国で殺されているのは将来世代の子どもたちである。今のことだけ考えれば、日本は平和で豊かで安全な国かも知れないが、全て先人と将来世代の犠牲の上に成り立っていることを忘れていないか。これから生まれる子どもたちは、現世代の人間に自分だけが楽をしたい、贅沢をしたい、助かりたいからと言って、大事な生体にワクチンを打ちまくり、肉やスイーツを貪って生体のエピゲノムを無茶苦茶にされてしまった。そして、国は借金漬け、医療は薬漬け、ジャニーズ問題では、もっとも守られなければならない子どもの人権が「要約」されなかった。この国では将来に渡って、子どもたちは消費され搾取され続ける。それも決して凶悪犯でじゃない、親や教師、ジャニーズなど最も身近にいる大人たちによってである。この国では、マスコミやコメンテーターが豆知識という砂利や土をいっぱい集めて立派なミキサーで撹拌して物事を造形するが全て固まることはなく、すぐに壊れる、あるいは忘れてしまう。それはセメントが入っていないからだ。この国で生まれながらこの国で長年生きて解るのは、この国は決して変わらない。変えようと思わないことだ。自分で作るしかない。自分の発言も行動も工芸もコンセクエンス(かたちあるもの)で表現しなければ意味がない。何も行動しない国会議員が「殺される」なんて叫んでいる政治に未来があると思っているのであればおめでたいことだ。「殺される」と思うのであれば国会議事堂を飛び出してテロでも何でも武器をとって戦えよ。

そんな砂利や土をいくら混ぜてもコンクリートにはならない。自民も立憲も種類が違うだけで同じ砂利であることに変わりがない。