政治家引退と言いながら、『期間限定政治家』という主張は、いずれまた政界に戻るということである。

 

何故ならこの国には、物事の正邪よりも、話題性や人気を好む政党があり、有権者が存在するからだ。

山尾氏、丸山氏、古くは上西氏などの議員バッジは、任期中に政党や有権者が「暴力」的に剥ぎ取るエモーショナルな運動が必要だった。

 

へずまりゅうなどが立候補するような議会や国会議員の職に何の未来もない。もちろん、へずまりゅうにも被選挙権は存在するが、国民にはそうした行き過ぎた「自由」を戒めるための「人権」が存在する。

 

その「表現の自由」が、「風土」の形象であろうと、「暴力」の行使であろうと

ここを踏ん張らないと、この国の議会制民主主義など夢のまた夢である。少なくとも、多様性と称しながら、三原氏、橋本氏、今井氏などのタレント女性議員の重用が理想を持った有能な女性の政界や社会進出を阻んでしまっている。