確かに麻生財務相や現在の官邸は幼稚で姑息、陰湿、不遜な振る舞いの極地のように思われるが、それでも民主党政権時の仙谷氏よりも随分ましなようにも思える。

 

「秘密保護法制」は、民主党政権時代に仙谷氏をリーダーにしてをつくられていたにも関わらず、安倍政権になると当の本人たちは前面に立って批判する。

 

仙谷氏は、「憲法解釈は政治性を帯びざるを得ない。」「その時点で内閣が責任を持った憲法解釈を国民、国会に提示するのが最も妥当な道だ」と「政治主導」について明言している。

 

民主主義とは議員の出来ることを発見する競技 である。国民は保守とリベラルの政権交代可能な二大政党制を望むのであれば、野党を育成していく以外選択肢はない。国民の「無能」を許容する力が試されているのである。

 

それが無理ならば、選挙投票を棄権して、議員に頼らず、法と税を通さずに国民が直接理想の社会の構築を目指すべきである。