文章プロデューサー大竹ひろこです。
文章は人生そのもの。
文章に、あなたの人生は丸写しになります。
初対面の人の顔を見て、
「なんか暗いな」
「なーんか覇気がないな」
「なんか疲れていそうだな」
「どこか悪いんだろうか?」
そんな風に感じることってありますよね?
これ、文章にも出ます。
顔の表情よりも文章の方が取り繕いやすいので、
一見元気そうに見えたりもします。
だけど、
あくまでそれは「元気そう」なだけであり、
決して「元気」には見えないから不思議です。
ある道一筋で生きて行くと、
そこに共通項を見出すのはよくある話。
私はおそらく人よりかなり注意深く、
他人の文章を読んでいます。
そこに「その人の内面」を見ようとします。
その文章を書いた人に会って話を聞いてみると、
「ああ、やっぱり」と思うことがほとんどです。
これは自慢でもなんでもなくて、
本当によくある話です。
その人だけがわかる、なんといいますか、
雰囲気・匂い・立ち上るオーラとでもいいますか、
そういうものを他人から感じ取るんですよね。
あるテレビ番組に成田緑夢選手が出ていました。
彼はそのバラエティ番組に出演中、
ずーっと前のめりの姿勢でいて、
誰かの発言に手を叩いて笑っていました。
とにかく終始笑っているので、
その色黒の笑顔は私の目に焼き付いてしまったほど。
そんな彼が面白いことを言っていました。
誰かがスポーツをするその動きに、
色が見えるのだと。
すごく力が入っている部分は真っ赤に、
力が抜けている部分は青っぽく映るのだとか。
彼はそれを見て、
「そこ、黄色でいくのね」
といった解釈をする。
そしてその動きを自分でもやってのける。
次々楽しそうなスポーツを目にして、
どんどん自分でやってみる。
あれよあれよと良い成績を残し、
気づけば体はバッキバキの筋肉マン。
だけど筋トレはしないという。
「だって、楽しくないじゃないですか」
夏にするスポーツで上半身がバキバキになり、
冬にするスポーツで下半身がバキバキになる。
「季節によって体が変わるんすよ」
彼はすべての基準を、
「楽しいかどうか」
「今それをしたいかどうか」
これで決めているようです。
だから終始笑顔でいる。
昨日そんな彼の姿を見ていて、
なぜかものすごく興奮しました。
そうだ、忘れていた。
少しの間に私は忘れてしまっていた。
「いやなことはいや」も大事。
だけど、
「したいことをする」はもっと大事。
自分がしたいことを勢いよくやってきて、
私は今こうして生きている。
なのに近頃の私ときたら、
なんだか他人にばかり目がいって、
人を責めては安堵していた気がする。
体が弱っていたからそうなったのだとは思うけれど、
なんとつまらない思考であるか。
緑夢選手はこう言っていた。
「俺、スキル持ってるんすよ」
彼には彼のスキルがあり、
私には私のスキルがある。
それは世の中に多くでまわるものではなく、
誰にもわからない、私だけの特殊なスキル。
ある人は、音楽に色が見えると言っていた。
私には、文章に人の表情が見える。
最近は、顔と顔を見合わせると、
なんとなくその人の抱える内面までわかるようになってきました。
昨日お会いしたある女性は、
すごくやさしいのに、それを表に出すことに躊躇している感じがしました。
初めて面と向かって見つめ合い、彼女を観察していたら、
「そのやさしさ、もっと表に出してもいいのに」
そんな言葉が胸のうちから湧いてきました。
(初対面の人と向かい合って褒め合う自己紹介ワークでのこと)
だからそう伝えました。
すると彼女がそれに同意するので、
私は感じたことをもっと話してみました。
すごく可愛らしい女性でした。
私には「ターゲットは30代女性」という概念がわかりません。
そんな人はいないから。
どうしても私には、
「実在する人」という考えしかできません。
ペルソナという概念はわかりますが、
私にはペルソナを使ってのマーケティングはできません。
いつもどこかの誰か、
そう、あなたに向けて書いています。
↑
この「あなた」という文字を書くとき、
私の頭にはポッと誰かの顔が浮かびます。
そして心が動いて、時に涙が流れます。
今もなぜか涙があふれそうになっています。
新幹線の中なのに、あぶないあぶない。
人には、その人にだけわかる何かがある。
たとえそれを人にわかってもらえなくても、
それはそれでいいんじゃない?
だってその人はあなたじゃないし、
あなただってその人のスキルは理解できないかもしれない。
すでに成功している(と自分が思う)相手の話を聞きたいと思う時、
注意するべきことがある。
それは、その人の話を聞いて、
「そうやるんだ!」とか、
「なるほど!やってみよう!」とか、
そんな風に心が動くかどうかということ。
その人が言ったからって、
自分の心が動いたわけでもないのにただ漫然とやってみたって、
自分の満足にはつながりません。
よくあるのが、
その人がうまくいったやり方を聞いた後、
「そうじゃない場合はどうですか?」と尋ねてしまうパターン。
あれ、全く意味がないです。
その人に聞いても全く無駄。
だってその人は「そうじゃない場合」なんて体験してないんだから。
すでに成功している(と自分が思う)相手には、
今の地位を築いた歴史があります。
そんな一足飛びにそこにたどり着いたわけではないのです。
おそらく様々な手を打って、
いろいろ行動した結果なのでしょう。
そこに、想いを馳せる。
あの人はどうやってそこまで行ったのだろう?
私はどうやればそこに行けるだろう?
そうやって夢想して、
できることから手をつけていく。
そうして気づけばあなたも、
「あれ?なんかここまで来てたわ」
なんてことになる。
それはその人と同じ位置じゃなくてもよくて、
あなたが「よし!」と思う位置でいい。
そうして昨日の自分よりもっと成長して、
今日という自分を楽しみ、
明日という自分に向かって動いていく。
人間、この繰り返しではないか。
と私は考えます。
弱った自分から抜け出したら、
こんなことを書きたくなりました。
この記事の「あなた」はもしかしたら「今の私」なのかもしれない。
ふとそう思った。
だけどそんなことはさっさと過去にして、
私は毎日を楽しく生きていきます。
楽しい、の選択をしていく。
その先にある未来はどう考えても、
楽しいに決まっているから。
──記事を書き終えて車窓に目を向けると、
そこにはさっきまではなかった青空と、
広々とした草原が広がっていた。
ほらね、やっぱり。
あの美しい青空と草原のように、
私の心も澄み渡っているような、
そんな実感を新たにした。