私が卒業した高校の吹奏楽部は、現在でも毎年関東大会や全国大会出場の常連校です。その吹奏楽部に所属していた私の同級生は管楽器(ホルン)担当でした。
彼は卒業後、某有名音楽大学に進学して指揮者(マイストロ)の道を歩みました。今では吹奏楽連盟の理事のひとりで母校の吹奏楽部や市民オーケストラの指導も時折しているそうです。
さて…最近、ふたつの交響楽団を主題にしたTVドラマを見ました。
ひとつは、天才指揮者(マイストロ)がバイオリニストの娘との確執で音楽の道を諦めていたものの、静岡県内のとある市民ホールの取り壊しに伴い、解散に直面している市民オーケストラで指揮棒を振るドラマです。
楽団員たちを励まし励まされながらも自身が再びドイツ名門交響楽団の指揮者に呼び戻されるのを躊躇しながらも、最終的には楽団員に背中を押されて夢をかなえる物語。
もう一つは、南北分断してベトナム戦争に突入していくハノイで、貧しく演奏もままならないオーケストラの指揮者として白羽の矢が立った日本人指揮者が音楽家として輝かしい主流の道を選ばず、家族をも顧みず一生をベトナムで音楽人生を賭ける国境を越えた文化交流の物語。
舞台は日本と海外との違いはあれどもどちらのドラマにも共通しているのは、一人の指揮者(マエストロ)と家族を巻き込み(前者は)娘と(後者は)息子との微妙な関係を醸し出しながらの交響楽団存続再建物語です。
前者は、ドラマの主題からも最後は誰もが予想できる展開で、市民オケにも関わらず、何故か毎回著名な交響曲を天才マエストロが指揮棒を振ると難なく奏でてしまう不自然さ。
然も、ちょっとわけありで腕利きの演奏家がマエストロの人柄に触れて市民オケに参加してしまう。更に前に別局で放送していたドラマと筋書きが被っていたような気さえするのは私だけでしょうか?
後者は、1955-1975年まで米ソ冷戦時代のベトナムで、アジア近隣諸国をも巻き込んだ共産主義国と自由主義国陣営の代理戦争中にも関わらず、実話ではないにせよ、日本人指揮者が一人で民間音楽外交するストーリーは、国交50周年記念ものとは言え、稚拙だと思えて仕方なかったのが正直な感想です。
ところで、指揮者と言えば、先日惜しくもお亡くなりになった世界的指揮者の小澤征爾氏を思い浮かべます。生前は長野県松本市で市民オーケストラや子供の音楽指導もされていたそうです。毎年夏には松本市では総監督として音楽祭が開催されています。
戦前の満州国奉天市(現瀋陽市)生まれの日本人指揮者小澤征爾氏がN響事件を契機に日本から世界へ飛び出していかにボストン交響楽団で成功したか。彼の一生を描いた実話ドラマを何処の民放でも良いのでいつか拝見したいものだと願って止みません。NHKでのドラマ化はさすがに無理かな。
実は私は小澤征爾氏ご本人に遭遇した事があります。米国同時多発テロ直後の成田空港の安全検査場でした。偶然にも私の前に靴を脱がされた小澤征爾氏が長蛇の列に並んでいました。「こんな時期だから仕方ないよね〜」ってにこやかにおしゃっていたのが聴こえました。人柄が偲ばれました。
(写真はお借り致しました。)