織田信長の次男信雄は戦国時代をしぶとく生き抜いた! | 台湾で起業して頑張る中高年オジサンの徒然

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天安門事件(1989年)には北京に駐在、その後、広州、北京、シンガポール、台北、上海と中華圏を30年間渡り歩き、2019年9月無事にサラリーマン定年退職。これを機に台湾台北で起業、第二の人生を奮闘中。中華圏ベテランオジサンの目線で見た日々について綴ります。

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大学卒業して都内の総合電機メーカー系商社に就職したとき、同じ海外営業事業本部に織田○○君と言う同期入社がいました。名前からお分かりの通り、あの戦国武将“織田信長”の子孫でした。私はアジア地区で、彼は確か米国地区担当に配属されました。

 

私はその後中国大陸(北京駐在)へ飛ばされる憂き目に遭いますが、彼はバブル好景気真っ只中の米国駐在となりました。何とも羨ましいと思ったものです。そんな好境遇にも関わらずある日会社を辞めると人伝に聞きました。退社理由は鍛冶屋で刀造り職人になるからだそうでした。さすがは戦国武将末裔だと思ったものです。

 

さて・・・

 

NHK大河ドラマ『どうする家康』はいよいよ“大阪の陣”で佳境に入りました。本能寺で討ち死した織田信長の次男“織田信雄(出家名:常真)もしぶとくいます。彼が戦国時代から江戸幕府初期を生き抜いたからこそ、織田家は現代まで存続しているわけです。

 

(肖像画をお借りしました。)

(ドラマからパチリ、織田信雄演じている俳優浜野謙太を拝見するとクレージーキャッツ谷敬役を思い出す。どちらも飄々とした感じが何とも言えない。)

 

思えば、彼の人生は父織田信長とは遠く及ばぬ紆余曲折な人生でした。ざっと下記の通りです。

 

父信長憤死後、柴田勝家に跡目として担がれたものの豊臣秀吉との跡目争いに敗北。秀吉との小牧長久手の戦いでは、徳川家康側に付いたかと思えば秀吉と独断で勝手に和睦。しかし領地で我儘放題から秀吉に改易された。

 

再び、徳川側に擦り寄ったかと思えば、時代を見誤り、関ケ原では西軍石田三成側について敗北。これでいよいよ織田家も滅亡かと思えば、大阪の陣では上手く徳川に再び擦り寄り、奈良大和の領地を得る。曰く…

 

『私の得意な兵法は和睦❗️』

 

“長いものに巻かれろ”を地でいった人生でした。戦国時代を通じて歴史に名を残して若くして戦場で散って逝った多くの名高い武将とは違いますが、結局数えでどっこい73歳まで”人生50年”と言われる乱世を生き抜きました。

 

私も厚生年金を受給する年齢となりました。長年の会社勤めで積み上げた年金ですから健康体でしぶとく長くこの世を生き抜きたいものです。ところで、同期だった織田君は立派な熟練刀造りの職人になったでしょうかね⁉︎