樟脳(しょうのう)にも歴史がありました! | 台湾で起業して頑張る中高年オジサンの徒然

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天安門事件(1989年)には北京に駐在、その後、広州、北京、シンガポール、台北、上海と中華圏を30年間渡り歩き、2019年9月無事にサラリーマン定年退職。これを機に台湾台北で起業、第二の人生を奮闘中。中華圏ベテランオジサンの目線で見た日々について綴ります。

突然ですが、『樟脳(しょうのう)』をご存知でしょうか?


ワタシの様なある程度の年配者ですと衣替えの季節に洋服ダンスとかに防虫剤として使用していました。田舎のおばあさんの家に行くと樟脳の匂いがよくしたものです。

 

さて、この樟脳販売が財政収入の2割を占めると聞いたらびっくりしませんか?実は、日本統治時代の台湾ではこの樟脳(樟脳油も含む)が阿片・煙草・塩・酒造とともに専売品でした。しかも清朝時代から立派な輸出品だったのです。

 

(現存する煉瓦造りの専売局)


ちなみに、阿片は英国との茶葉貿易でインド産阿片が代金の代わりに流通していたので、阿片吸引風習が残り、台湾総督府として従来の吸引者のみ登録制度で認めて、阿片を専売品としたのです。徐々に吸引者を減らす撲滅対象品政策でした。

 

ところで、樟脳は楠木(くすのき)の葉と枝が原材料になるわけですが、阿里山などの高山にその資源があったのです。イギリスでは防虫用以外に血行促進作用・鎮痛作用・消炎作用・鎮痒作用・清涼感をあたえる作用などで重宝された様です。

 

(樹齢100年近い楠木)

 

樟脳の白い結晶にするまで、粗精製と純度を高める精製とで方法も装置も格段に違うそうです。この精製の違いで品質にも影響するので、当時の日本に存在した複数の樟脳メーカーは技術向上を競った時代もありました。

 

(嘗ての樟脳と阿片精製工場と保管倉庫)



一方で、世界的需要拡大のため阿里山などの楠木を伐採していきます。その結果、高山に住む少数民族と抗争して追い出すことにもなりました。また、経済優先で自然林伐採を優先した結果、植林が後手に廻りました。

 

やがて自然産樟脳は、合成樟脳へと取って変わり台湾樟脳の生産量は激減していく運命にありました。戦後は専売品からも外されて製造工場も操業停止となります。樟脳にも流行廃りの歴史があったのです。