記憶や記録を如何に残し、伝えていくのか。
この問いに対する回答を様々な分野の専門家と市民がともに考え議論する場として僕が企画しているシリーズ。初回と2回目は戦争、3回目は生活と家族・児童養護施設、そして今回は福島をテーマに取り上げた。
関連記事:「練馬で聴く東京大空襲 ~世代を超えて伝えるべきもの~ を開催しました」
http://ameblo.jp/tsuyoshiwatanabe/entry-11961884043.html
関連記事:「ギャラリー古藤さんにて『未来に繋ぐ記憶と記録~戦争とアーカイブズ』と開催しました」
http://ameblo.jp/tsuyoshiwatanabe/entry-11992284589.html
関連記事:「生活と家族の記録を考える」
http://ameblo.jp/tsuyoshiwatanabe/entry-12118002880.html
僕の研究領域であるアーカイブズ学では、「一次資料」「文字資料」「公文書」といったものが研究対象となることが多い。しかし、「記憶や記録を残し、伝える」という観点から言えば、一次資料から得られた情報を加工した「二次・三次資料」、文字化されていない「語り」、そして役所には残されていない私たち一人ひとりの私的な記録が同じくらい重要ではないだろうか。そういった問題意識から、単にアーカイブズ学や資料学の研究者のみならず、歴史的出来事に遭遇した当事者や芸術家・演劇人の視点や作品を併せて市民の前に提示することで、より歴史的な出来事や社会問題の本質が浮き彫りにされるのではないか、と考えて企画を組むようになった。
2月18日(土)、練馬区江古田のギャラリー古藤におけるプログラムでは、僕がやや固い話の担当を請け負った。「原発事故調査委員会資料を知っていますか?」と題して、2011年3月11日以降、僕たちが「福島」から連想するキーワードの一つである「原発事故」に関する調査記録がどのように保存され利用できるのか(できないのか)を法整備の問題点を中心に説明した。東京都の都政改革で小池ゆりこ知事が取り組んでいることと通底する問題があることをお話しした。
福島県大熊町出身で、震災発災時には福島第一原発で仕事をしていた浅野秀蔵さんは、現在茨城県水戸市で避難生活を送っている。震災直後に、僕が顧問を務めるNPO法人日本リスクマネジャー&コンサルタント協会で知り合ったご縁で今回のイベントでの登壇をお願いした。原子力災害で住み慣れた土地に戻ることができない人たち、特に子どもたちの切ない想いと、他方、戻ることを想定できなくなっている高齢者を含めた大人たちの意識について臨場感のある語りを披露して頂いた。
(「積小為大の会」浅野秀蔵さん)
本イベントの目玉の一つだったのが、東京工芸大学准教授でアーティストの野口靖さんの作品展示だ。『核についてのいくつかの問い』というデジタルアートは、日本各地の食品中の放射性物質検査マップと日本・ベトナム・インドで実施したビデオインタビューを組み合わせた映像作品である。
放射性物質検査マップは、厚生労働省や東京電力が公表してる約160万件のデータを可視化した大作で、客観的なデータが解りやすく市民の目の前に提示されていないことに疑問を感じた野口さんが自らその可視化を買って出た気概の成果だ。
作品の説明を受けた参加者からは、「こういう取り組みがもっと広く知られるべきだ」「食品中の放射性物質については何が正しいのか不安だったが、この作品を観て不安が軽減された」といったコメントが発せられていた。
(放射性物質検査マップ)
放射性物質検査マップ
また、ビデオインタビューは、全てのキャプションが日本語と英語の併記になっており、「海外に正しい状況・情報が伝わっておらず、日本の食品に関する風評被害に繋がっているのではないか」という野口さんの問題意識が形になっている。
僕自身、この作品はこれまで数回目にしているが、アートとしても情報伝達媒体としても非常に存在意義の大きいものだと思うし、多くの人に知ってもらいたい。本イベントはそのために企画したと言っても過言ではないのだ。
(ビデオインタビュー)
「核についてのいくつかの問い」プロジェクトのドキュメントビデオ
事実を記録した資料や作品のみならず、創作の世界からも登壇をお願いした。
練馬区江古田でスタジオを構え、プロの演劇集団として質の高い芝居を作り続けている劇団一の会。『長崎は明日も晴れだった』という作品を上演してもらった。11月に自分たちの本拠地であるワンズスタジオで上演されたものの再演をお願いしたのだが、3人のキャスト、せつ子さん、泉川萌生さん、児玉尚幸さんの気迫は衰えず、会場には感動の涙を流す参加者が大勢見受けられた。
(劇団一の会の熱演)
「福島」をテーマにしたイベントでなぜ「長崎」なのか。本作の演出を手掛けた一の会の熊谷ニーナさんとのトークではその種明かしもして頂いた。僕は、「核」という共通点を思い浮かべたのだが、それ以上に「タブーに挑戦できる演劇という表現方法、辛い経験をした人々に対しても普遍的なテーマはタブーにはならない」といった想い。震災の翌年、被災地でアンネフランクの話を演じた際に感じたとのこと。『長崎は~』では耶蘇教と言われたキリスト教に対する差別、タブーの問題も重要な要素として含まれている。福島に関しても放射能に関する風評被害やいじめが取り沙汰されており、そういった観点からも通じるものがあった。また、『長崎は明日も晴れだった』というタイトルに未来(「明日」)と過去(「だった」)が混在しているように、時間軸に対する思い入れも本作の特徴の一つだと思う。物語の舞台は1945年8月8日の長崎だ。そこで若い女性の妊娠(世代を繋ぐ象徴)が問題になる。市井の人たちが予想もしない大量殺戮兵器による暴力。時間の断絶-これは、東日本大震災という突然の自然災害によって日常生活が奪われた状況と重なるように思われるのだ。
(真ん中左から、泉川萌生さん、せつ子さん、児玉尚幸さん)
(熊谷ニーナさんとのトーク)
多くの登壇者、参加者に支えられた長い一日。
翌19日(日)は終日野口さんの『核についてのいくつかの問い』をギャラリーいっぱいに展示することができた。
本イベントに関わったすべての方々に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
(2017年2月19日)