岐阜かかみがはら航空宇宙博物館に入館!
P-2J対潜哨戒機
各務原で生産されたらしい。
ターボプロップエンジン
昭和44年から平成6年まで現役だったそうな。
博物館の建屋もかなりデカい。
カレーライスは飛騨牛だそうな。
カレーなんか食わねぇよ!
荷物が重たいから、ロッカーに預けよう。
こっこまで飛ばせぇ~~~!ほ~~り込め!ほ~~り込め!か!け!ふ!
かっとばせ~~~!か!け!フっ!
入館すると、いきなり複葉機!
赤とんぼかと思った。
各務原で航空機産業の始まりとなった記念すべき機体
陸軍乙式一型偵察機
天井から吊り下げられているのはゼロ戦らしいのだが、プロペラが2翅プロペラ。
ゼロ戦なら3翅プロペラのハズだけど、試作機時代は2翅だったと聞いた気もする。
そして、無塗装の3式戦闘機飛燕
ボランティアガイドのオッチャンがいたので、知覧で3式戦を見た事がある、と言うとその知覧で展示してあった機体だそう。
知覧での展示機時代の塗装が3式戦の正当な塗装では無かったらしく、正式な塗装に塗り替える予定だったのだが、塗装を剥がしてみると機体の様子が判りやすくなったので無塗装のままでの展示にしたそうな。
旧軍唯一の液冷エンジンはドイツ・ダイムラーのDB601エンジンのライセンス生産品
スペック通りの性能が発揮されれば、かなりの高性能機だったハズだが、パイロット達からは「空飛ぶ棺桶」などと揶揄されたそう。
そりゃ質の悪いオイルで潤滑させて、オクタン価の低いガソリンで燃焼させてるんだから、スペック通りの性能なんか出るわきゃねぇ~!
聞くところによると、金属の質も日本のものは悪かったらしく、このような超がつくような高性能エンジンには使えなかった、と言う話しも聞いたような。
とはいえ、このエンジンの生産が追い付かなかった為、首なしの3式戦闘機が沢山生まれ、空冷星型エンジンを搭載した最後の名機5式戦闘機が生まれたのは不幸中の幸いでしょうね。