大阪をぐるり1周鉄道旅!おおさか東線完全乗車を! | 鉄と介護タクシーのつばめ日記!

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わざわざ大阪駅地下ホームにやって来て、おおさか東線の始発駅から乗車します。
 
初めての大阪駅地下ホームです。
 
新大阪から乗って来た221系が折り返し久宝寺行きになりますので、乗車します。
 
新大阪駅に進入する直前です。
 
新大阪駅を発車して、神崎川を渡ります。
 
神崎川を渡るとすぐにおおさか東線の高架線に上がって行きます。
 
東海道線を跨いでいく時にちょうど京都方向から225系の新快速がやって来ました。
 
新大阪駅の次駅南吹田を出ると、再度神崎川を渡ります。
 
すると、城東貨物線時代からの東海道線からやって来る線路と合流します。
 
新幹線の高架線をくぐります。
 
すると
阪急京都線淡路駅付近の連続高架化工事現場が見えてきました。
 
千里線の線路と高架化工事の様子です。
 
阪急京都線の線路と高架化工事の様子です。
 
おそらく、京急の蒲田駅のような感じになるのではないでしょうか。
そして、城東貨物線時代からあった淀川橋梁を渡ります。
 
下の道路はそれまで、白いミキサー車の付近の場所から土手の方に上がって行く道のみでした。
青い2tトラックが走っている所はおおさか東線開業に合わせて造られた、おおさか東線のアンダーパスになっています。
旧道は淀川橋梁の手前に踏切があって、その踏切を行き来してたのですが、車両は西向き一方通行で大変不便だったものです。
 
現在は、写真でもわかるように東西1車線の両方向に行ける道路に変わり、大変便利になりました。
城東貨物線時代の淀川橋梁です。
 
今はなくなった踏切からの撮影です。
ウチのチビが耳を当てている線路が、現在の新大阪向きの線路で、久宝寺方面の線路無く、写真でもわかるようにそれまでは木製の人道橋だったのです。
 
つまり城東貨物線時代は単線だったと言う事です。
 
そして、この橋梁は城東貨物線淀川橋梁では無く、ここを利用する人々からは「赤川鉄橋」と呼ばれていました。
(当時からの正式な橋梁名称は知りません)
淀川を越えて行きます。
 
赤川鉄橋時代は木製人道橋だった部分を走っています。
この辺りの淀川左岸は入り組んでいて、リアス式海岸のような複雑な地形となっています。
 
ですので、多様な生物が確認されているのですが、昨今は絶滅の危機に瀕している生物が増えているようです。
この、複雑な地形の淀川左岸の事を「わんど」と言います。
 
城北公園通りの駅にやって来ました。
 
与謝蕪村生誕の地です。