2024/09/01 ハンセン病資料館で理解する、あの映画のあのシーン。 | 陶芸作家「保立剛」の工房から

陶芸作家「保立剛」の工房から

東京都国立市在住の陶芸作家です。

 

 

陶芸作家の保立剛です。

 

 

 

ハンセン病資料館の入り口には、杖をついて傘を被った親子の銅像が立っています。

 

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これで思い出されるは、松本清張原作のあの名画

「砂の器」

 

ある日、東京蒲田操車場構内で扼殺死体が発見される。

被害者の身許が分からず、捜査は難航。

しかし、事件を担当した警視庁のベテラン刑事・今西(丹波哲郎)と

西蒲田署の若手刑事・吉村(森田健作)は地道な聞き込みを続け、

そして、2人の粘り強い捜査によって、

やがてある著名な音楽家の男が捜査線上に浮かび上がる。

 

と、ここまではミステリー調の映画ですが、

 

自分の出自を隠すために犯行を重ねる主人公

その理由は・・・

後半はこの映画の副題「宿命」があらわす人間ドラマへと変わっていきます。

 

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劇中で主人公の親子がお遍路さんの姿で放浪するシーンが描かれています。

最初に見た時

「映画の舞台に四国はないのになぜなのかな?」

と漠然と思っていました。

 

がその答えは、ハンセン病資料館の銅像に書かれていました。

 

母娘遍路像(国立ハンセン病資料館)

ハンセン病回復者の中には、入院前に四国遍路を経験した人が少なくありませ ん。

病気を知られず、迫害から家族を守るためには、遍路にならざるを得なかったからです。

(中略)世界に例をみな いこの風習は、

社会的には偏見・差別がいかに人を非人間的境遇に追いやるものであるかを示すものであります(中 略)。

わが国のハンセン病者が辿った苦難の人生を歴史の事実として遺すためこの像は建立されました。

空を見上げる 二人は、いつか必ず訪れるハンセン病の治る時代の到来をじっと目を凝らして見つめているのです。

(碑文より引用)

 

松本清張による砂の器の原作は1960年

映画になったのは1974年

遠い昔の話とされがちですが、

強制隔離の根拠となった法律が箸されたのは1996年

国会で決議され

国が療養者や回復者へ謝罪し名誉回復と社会復帰支援策へ転換したのが2002年

 

いまでも94名の方が入所されています。

 

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そんな入所者の生活の一部を知ることができる映画には

「あん」

ストーリーは、

 

縁あってどら焼き屋「どら春」の雇われ店長として単調な日々をこなしていた千太郎(永瀬正敏)。

そのお店の常連である中学生のワカナ(内田伽羅)。

ある日、その店の求人募集の貼り紙をみて、

そこで働くことを懇願する一人の老女、徳江(樹木希林)が現れ、

どらやきの粒あん作りを任せることに。

徳江の作った粒あんはあまりに美味しく、みるみるうちに店は繁盛。

しかし心ない噂が、彼らの運命を大きく変えていく…

 

最後のシーンには言葉を失います。

「私たちはお墓を持つことができなかったから、木を植えたの・・」

 

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「絵を描くことが、私と社会を継ぐ唯一の行動であつた」

氷上恵介

 

世の中には、芸術を必要とする人が、まだまだいるようです。

そんな人のために少しでも力になりたい。