A day of ... TSUTCHIE!! -429ページ目

過去の真実…バンド編8

待ちに待ったオリジナル曲。

聴いてみるとなかなかカッコいい。

でも、バンドのメンバー集まって演奏しようとすると、またまた彼が口を挟む。

フィルインでドラムフレーズを回す必要が無いのに執拗に回す様に強要し、こと如く罵り合いや喧嘩が絶えなくなり、バンドの関係が破綻し、僕自身が孤立する所まで陥り、バンドを離れる決心をする…と同時に人間関係を絶つ事を腹に決め、僕が嫌う妥協をする事になる。

7月28日、住道にある椿本グラウンドで夏祭イベントとして参加した…が、今度は本番で彼が弾くギターのいい加減なスタンドプレーでライブが無茶苦茶に陥りかけたが、バックのフォローで何とか事態を避けた…が、メンバーとの関係(特にギター)は一言も声を掛けず破綻を極めた。

それから数年後、彼が作ったとされるオリジナル曲が実はウソだったと言う事があるバンドの曲を聴いた事によって最近になって解った。

(続く…)

過去の真実…バンド編7

彼はベースの子の彼氏で、かなり前からセミプロとして色んなジャパメタ系バンドの前座としてステージ経験をした経験を持っている…らしい(…と言うのも詳しい事は後述する)。

彼は僕に対して演奏の事や考え、性格の事まで、余計な所まで口を挟み、時には喧嘩を売ってるのか解らない位だった。

リハーサルの時もやたらと厳しく音を吐きそうな事も何度かあった。

ライブ本番の数日前になると、本業に支障を来そうかと言う位、リハを重ねた挙句、彼に侮辱される始末。

その頃、彼が作ったとされる(!?…この事も後述する)オリジナル曲を演奏する事になった…が、それらの曲は後に僕と彼との間に深いミゾを作る事になった…。

(続く…)

過去の真実…バンド編6

その後、12月25日に十三のファンタンゴでライブを演り、初めてツインペダルを使い演奏した。

感覚もまあまあでこの時期やっと自分に合ったドラムスティック(ジルジャンのヒッコリーS5B)と出会い、ドラムを演奏するのが楽しくなって来た。

だが、その反面、バンドのメンバーとの人間関係がしっくり来なくなり、90年3月にバンドを脱退した。

その後、色んなバンドとセッション活動しながらもなかなか決まったバンドが無く時間が過ぎ去って行った。

91年頃、以前に自分のリーダーバンドでベースを弾いていた子と再度バンドを組んだ…が、その中でギターのFが、後に現在まで僕との人間関係にミゾを作る相手となってしまう…。

(続く…)

過去の真実…バンド編5

自身のバンドが解散してからも別のバンドでセッションしながら新たなバンド探しをしていく内にメンバー募集の告示をみた関学の大学に通う学生バンドと知り合い、バンドに加入する。




何度か梅田や西宮でリハーサルをする内にヴォーカルも加わり、ライブが出来る状態になった。






そのバンド名はHELLOWEENのコピーをしている事から名前はヘロインになった…危ない名前…。





ライブの方は関学の文化祭イベントとして大学の大教室でステージを踏んだ。




そこで本番でリズムがハシってしまうと言う失態を犯し、皆んなにかなりの迷惑を掛けてしまった。




それを教訓とし、バンド全体を聴き把握しながら演奏する内に段々と落ち着きを取り戻していった。




この時期、僕はツーバスからツインペダル方式に変えていきセットはコンパクトにしながらも演奏の幅を広げて行った。





(続く…)

過去の真実…バンド編4

自分を中心としたバンドのメンバー探しはなかなか見つからず、メンバー探しをしながら幾つかのスラッシュメタルのバンドに加入しセッション等をして、元号が昭和から平成に変わった1月始めにやっと、バンドのメンバーが揃い活動を始めた。

バンドはあくまでコピー演奏でプロ向けで活動する気は無かった。

その当時コピーしたバンドはHELLOWEENやMEGADETH等のパワーメタルやスラッシュメタル系のモノばかりだった。

仕事をしながら月に3~7回程スタジオに集まり、リハーサルを重ね、3月11日に大阪ミューズホールで5曲程だったが、ライブを演った。

だが、お互いの音楽性が上手く噛合っていなかった事が理由で、直ぐに解散してしまった。

だが、このバンドに関わったメンバーとは今も連絡を取り合っていて、人間関係としては非常に良かったし、凄く楽しかった。

(続く…)

過去の真実…バンド編3

結局は僕に見合ったバンドはなく、現バンドに残る事になるが、翌87年3月頃に同じ貸スタジオで一緒にリハーサルをしていたバンドのドラマーが消息不明になったと言う話しが来て、そのバンドからの誘いがあり、2つのバンドを掛持ちする事になった。

その頃辺りからツーバスを演る様になり徐々に演奏の幅が広がっていった。

その年の7月28日にジュリで2つのバンドのドラマーとして二度ステージを踏んだ。

だが、ジュリでのライブは最後となり、僕が参加した2つのバンドも翌年解散した。

88年、僕は高校を卒業し社会人として仕事を始めつつ、休日はバンドのメンバー探しをしながら活動していく。

今度のバンドは予め僕がしたい事をする為の、僕がリーダーとしてバンドを作っていく事になった。

(続く…)

過去の真実…バンド編2

リハーサルを重ねるにつれ、バンドの演奏レベルが上がっていき、1986年8月28日に今は亡き堺にある"ジュリ"と言うライブハウスで僕にとっての初ライブだった。

6つのバンドが同じステージで演奏をしていて、僕のバンドは3番目にステージに立った。

アースシェイカーやラウドネスの曲を4曲演奏し、短いステージだったけど、女の子から拍手を貰ったのが凄く印象に残り、これからもバンド(ドラム)をやっていこうと決めた。

その後、10月10日にも同じライブハウスで今度は8曲も演奏したが、ミスもかなり目立ち気分は最悪だった。

だが一つビックリした事は、ライブでの集客が良かったのか\280程だったが、初めてギャラを貰った事で、あんなに下手な演奏だったのに頂いたのは正直、嬉しかった。

でも、僕自身ジャパメタは余り好きではなく、パワーメタルを演奏したかったので、色んな雑誌でバンド加入希望でバンド探しをして、参加しているバンドを辞める事にしたが…。

(続く…)

過去の真実…バンド編1

今回、僕の過去について書こうとした理由は…今はどうでも良い事なのかも知れないが、一つの音楽で人に裏切られたと言う真実を最近になって判り、また僕自身、最近になってドラムに対して少しずつやっていこうと言う前向きな気持ちになって来ているので、書こうと思いました。

この文章に興味を持っていない方はスルーしても結構です。



僕は今から20数年前にコージー・パウエルのドラムに魅了され、ドラムを始めた。

始めはドラマーの動きを誰から教えて貰う事もなく見よう見まねで覚えて行った。

僕が高一の時、アルバイトでたまたま知り合った子がバンドをしていて、ジャパメタのコピー演奏をしている他のバンドのメンバーがドラマーを探しているのを知り、彼を通じて加入を勧められ、生まれて初めてバンドに加入した。

何度か貸スタジオでリハーサルをしていく内に演奏するのが段々上手くなり、演奏する事が楽しくなってきているのを体で感じた。

(続く…)

それは…??

ブログネタ:付き合った期間、最高何年?最短何日? 参加中
僕もどちらかと言うと…彼女いない歴が長かったんですけど、過去に違う彼女と付き合っていた時期もありました。

その彼女とは3ヶ月しか続かなかったです。

それには僕にかなり非があったんですけどね…(^_^;)

…で、今現在進行中で付き合っている彼女とは3年経っていて、現在、結婚を前提として付き合っていて、ついこの間、僕の家族と対面して和気あいあいと話し合い、今はお互いの家族公認の付き合いをしています。

これからも将来、結婚に向けてお互い頑張っていきますので、見守って下さいまし…(*^_^*)

何だか、おノロケ話しになってしまい、すみませんでした…m(__)m

最近、変えました…(*^_^*)

ブログネタ:使っているシャンプーは? 参加中
シャンプー、リンス…と言えば、今まで男性でありながら"TSUBAKI"を使っていましたけど、ここ最近はネットで見つけたORBISのスカルプチャー・シャンプーと例の電動タコブラシを使ったら…、頭がエラく軽く感じる様になり、気持ち良くて、環境にも優しいので最近は徐々にORBIS統一化に向かっています…(^皿^)

ただ、トリートメントだけはマシェリのホットバス・トリートメントを使い続けるつもりやけどね…(^皿^)

ところで、このブログを読んでいる皆さんは何を使われているのでしょうか?