天皇を取りまく日本の歴史⑤ | 神ながらの道

神ながらの道

日本固有の民族宗教神道のことを、かんながらの道と言います。
神道の叡智を凝縮した当神社の遠隔祈祷と祝詞リスニングにより、
明るく清々しい本来の自分を取り戻し、かんながら(神の御心の
まま)の人生を歩んでみませんか?

※この記事は、天皇を取りまく日本の歴史①より読み進めてください。

その秀吉も後北条氏を滅ぼして、全国を統一したのが、1590年。それから、朝鮮征伐を二度行って失敗し、彼が亡くなったのはわずか8年後でした。その後は、ほかの大名と隔絶した力を持つ徳川家康が、豊臣政権を実質上簒奪し、その2年後関が原の戦いで、実質上の日本の主権者となりました。その勢力は破格のもので、親藩譜代までまで合わせると、700万石で、全国の領地の約三分の一、直轄領でも400万石、そのほか、各主要港湾都市、金山銀山を握り、経済的にも、軍事的にも、ほかの大名に対し、圧倒的な優位に立ち、石高2位の前田家100万石を大きく引き離していました。
また家康は、吾妻鏡を愛読し、それ以降の歴史の教訓も充分に学んでいたので、他を圧倒的優位で隔絶する一大勢力を築けたのです。
その後十数年を経て、もとの主家であった豊臣氏を完全に滅ぼし、誰も対抗できる勢力が頭をもたげることなく、260年にも及ぶ、単独政権を維持し、太平の世を築いたのでした。
家康は、以前から源氏長者の資格を朝廷から得ていたので、すんなりと武士の棟梁として、全国の武士をまとめ、日本全土の統治権力を行使するのにふさわしい政府機関である幕府を開くことができる官位、征夷大将軍に就任することができました。
この征夷大将軍という官位は、将軍宣下といって、天皇より「将軍宣下」を受けて任命されるものであります。
こうして、家康は将軍となり、数年の後、将軍は世襲制であることを世に知らしめるために、次男秀忠に宣下を受けさせ、二代将軍としました。その後、将軍は15代続くことになります。
幕府は、禁中ならびに公家諸法度で朝廷にしばりをかけましたが、自らの権威である将軍の地位向上のためには、自らの権力の淵源である朝廷の権威を高める必要がありました。
最初の頃は、後水尾天皇と家康との確執なった紫衣事件などがあり、朝廷と幕府の間はギクシャクしていました。
幕府は政権が安定するにつれ、戦国時代以来途絶えていた、朝廷の祭祀、儀式、有職故実などの風儀の復興に努めました。
朝廷の故実を学ぶうちに幕府の内部勢力の中にも、尊王勤皇の精神が生まれ、なかんずく水戸光圀のような尊王精神を持った藩主が現れ、尊王愛国思想は、幕府政権内の伝統として根付いてゆきました。
また幕府は、皇室の祖先神を祀る宗廟伊勢の神宮の式年遷宮の実施を一手に引き受け、歴代の天皇陵の整備にも尽力して朝廷の権威を高めました。
ちなみに、明治維新後初めての御遷宮は、ほとんど幕府の準備によってなされたものでした。
その後200年以上続いた幕府もようやくほころびを診せ始め、ペリー来航をはじめとする外圧によって、明治維新を向かえ、天皇を元首とする立憲制君主国家に生まれ変わりました。

これが天皇を取り巻く日本の歴史のおおむねの姿です。
これによって各時代天皇が占めてきた歴史的役割がよく分かると思います。
歴史的前提なくして軽々しく天皇と言うものを扱うものでは無いと思い、日本の歴史を概説させていただきました。
これを通して、天皇の姿が見え隠れするのではないでしょうか?

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