※この記事は、天皇を取りまく日本の歴史①より読み進めてください。
このように、朝廷からの官位を無視して、新たなる権威たろうとした織田信長は、志半ばで挫折し、信長を暗殺した明智光秀も、あっけなく羽柴秀吉に滅ぼされ、その秀吉は、柴田勝家との後継者争いに勝利し、織田信長の同盟者であった、徳川家康を何とかぎりぎりのところで臣従させ、かっての主君信長が征服できなかった余地をも平定し、日本全国の統一を果たし、ようやく秀吉の天下と相成りました。
秀吉は、朝廷より関白太政大臣の官位を授かり、その位を自分の政権の正当性を保障する権威としました。これも貴族の名門近衛家の猶子(養子みたいなもの)になって、近衛家の一族とみなされた上での叙位任官だったことを忘れてはなりません。生家の木下家の素性のままでは、いくら権力があっても、天皇を頂点とする形式上の律令体制下の高位高官への任官は不可能だったのです。
それを無視して頂点に立とうとするならば、朝廷を滅ぼす以外方法はありませんでしたが、あえて秀吉はそのような無謀な道は歩みませんでした。
新しい権力をバックにした、新設の権威では、箔がつかないことを、秀吉自身が重々承知していたからです。権威に威厳が備わっていなければ、誰しもが軽々しくその権威を覆して、頂点になろうとするのは火を見るよりも明らかだったからです。
ちょうど、日本以外の外国の歴史がそのようであったと思います。
実は彼が本当に望んでいたのは、征夷大将軍に就任することでした。征夷大将軍の方が、全国の武士を統括する、武士の棟梁の地位にはふさわしかったからです。
独自の武家政権、幕府を開くこともできます。
ところが、将軍は源氏の長者でなければなれないという不文律の慣習があり、秀吉の権力を持ってしてもその望みをかなえることはできませんでした。
身分が卑しいために高位高官に任官できなかった、鎌倉時代の北条氏の時よりは、かなり基準は緩和されてはいます。
秀吉は、征夷大将軍になるための資格を得ようと、室町幕府の最後の将軍だった、足利義昭に養子縁組を申し込みますが、秀吉を嫌っていた義昭から、にべもなく断られ、将軍任官をあきらめざるを得ませんでした。
信長から京都を追放され、毛利氏に居候していて、秀吉政権下で京都に帰り、将軍職を返上し、いわば年金暮らしをしていた義昭でさえ、それだけの影響力があったのは、驚くべきことです。ましてや秀吉の力を持ってしても、義昭の心を変えることができなかった事実は驚きに値します。
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