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対馬シーロード

国境の島:長崎県対馬市から発信。
朝鮮通信史絵巻の人形300体を制作中。
















     

人生の扉-竹内まりや

 

 

ひとつひとつ 

人生の扉を開けては

感じるその重さ

 

ひとりひとり 

愛する人たちのために

生きてゆきたいよ

 

六十でも健康で  

七十すぎも大丈夫

八十はきっと素敵で

いつか

九十こえているもの

 

衰えていく悲しさや

年を取る辛さに

くじけずに前を向いて

自分の人生だもの

私は信じている 

 

 

 

 

 

昔のテレビ番組で

一週間のご無沙汰でした

で始まる

歌謡番組がありましたね。

 

 

ブログ投稿もご無沙汰が続いて

気にしておりました。

 

何とか

自分の仕事は続けておりますが、、、、。

 

 

動画で

人生の扉の唄を見つけて

聴いてみて

 

老いていく自分を

あらためて見つめている

この頃の私です。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログをしばらく更新しなかったら

ラインで

お元気ですか?の便り。

先週は

「お誕生日をお祝いに来ました。」

仕事仲間の後輩が出前を持ち込んで昼食に来ました。

後期高齢者2年目ですが

まだ現役でいます。

高齢者になっての2年間の私生活は大病と出会いました。

 

生きてることは、明日は死すかもしれません。

死すかも知れないことは、今私は生きてるのです。

まだ青年のように

夢や希望やしたいことを

たくさん描いています。

お金や財より、心に弾むものがあります。

このような事をお話する事態が

呆けの初めでしょうか。

 

 

私が子供の頃はまだお正月は旧正月でした。

今年は1月29日でした。

人形制作をはじめたころ、お正月用に作ったものです。

 

私は妹2人弟が2人の5人です。

毎年お正月には昔が懐かしくて姉弟人形を並べています。

 

 

まだ5人とも元気でいます。

母が生前によく言っていたことが

「5人の姉.弟.が子供の時から喧嘩したことがない事は、親として

大変嬉しいことです。」

 

私の実家は大家族で.使用人もいました。

こうあるべきだよ.私の祖父は母のことを

「順風のお母様は女の鏡のような人だ。女はこうあるべきだよ」

 

はいそうします。」

と言うべきでしょうが

「順風は思ってない事は、ハイと言いません」

と答えました。

祖父は「思ってなくても・そうでございます。と言うものだよ。」

 

いまだに私はあまり上手が言えません。

 

 

本物の、ちりめん織に憧れて人形に着せたもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12月ごろから。パソコン画面に最新の機能更新プログラムの

インスト―ルの案内がでます。

パソコンに詳しくない私は

時間がかかりそうなので。お正月休みにしました。

 

今までとは、少し違い

違和感があります。

 

  

対馬グランドホテル展示

ブログも前のように進みませんでしたが

習うより、慣れようとまず写真を

載せるのも勝手が違う気がします。

 

毎年対馬に韓国から約50人くらいが来ました。

「訳官使」

と呼ばれています。

人形は男性身長を平均165㎝として

全体を55㎝にしています。

指の長さも

顏も

靴も

正確に縮小した寸法で、53名ほどです。

通信使人形は25~30㎝仕上がり

 

この訳官使は韓国ソウルで展示されました。

 

 

 

 

初めは人形の大きさを訳官使(右)の大きさで

作り始めましたが

通信の絵巻再現では300体くらいになり

場所を選ぶことに、気がつきませんでした。

 

 

通信使人形は全長30㎝に仕上げています。

このシリーズも正確に縮小寸法です。

 

 

対馬藩 宗家藩主

 

 

通信使絵巻の一部より。

 

 

絵巻は素晴らしいものです。

写真もない時代に

画家の才能には頭が下がります。

 

高齢化すると、新しい事に馴染めません。

出来ないことを言う前に

出来るように慣れましょう。

自分も高齢になってきて思い出すのは

曽祖父に

「習うより、慣れろ」

そんな言葉が私の心の栄養でした。

 

 

 

今年にありがとう。

呟きながら

今年もありがとうございました

と言い換える。

 

 

 

パソコンで仕事しながらも

別の私が私を励ますように微笑みをくれる。

 

大病を背負いながら

別の私が生かされていることに感謝しながら

微笑んでる。

肉体は折れても、決して心が折れないようにと。

 

美しいものや壮大な光景に出会った時の

あの感動を忘れないように

そして

周りの人々の親切にも感謝を忘れず。

 

 

 

今の日本は平和です。

世界はどこかで戦争があり、終わることがありません。

朝鮮通信使は徳川時代に

260年間もの間、交流があることで平和が続きました。

世界に類のない事です。

 

通信使は韓国の釜山を出発

対馬,壱岐、瀬戸内海をコースとして江戸までのコースです。

私は対馬にいながらも韓国に興味はありませんでした。

通信使人形を300体制作しようと決めた時

初めて釜山に布を購入に行きました。

 

弊社事業の関係で新しい店舗で本屋を始めたときに

通信使絵巻が

私の気を引いたのです。

 

我流、自作の日本髪

 

朝鮮通信使は

世界に類を見ない通信使です。

私は言語や生活が異なる人類の平和が260年間

保てた事に感動したのです。

子供たちに平和の見本として

正確に作るために人間の10分のⅠの大きさに縮小寸法です。

 

私はこの年まで病気知らで、元気でした。

それは間違いでした。

生きている者は、何に出会うか知れないのです。

予期しなかった病気に出会ったように

先のことは闇なのです。

闇だから不安に思うこともないのです。

自分の先が見えるように明かりを灯せばいいのです。

物事は考えようです。

 

興味を持たれた方がおられまたら、

試作されてみてください。

例えば

人形の顔は石膏で型を作っていますから

紙粘土を押し込んで乾いたら

ちりめんを貼ります、

それに顔を描きます。

平和のお人形ですから、私が独りで制作しなくて、

興味のある皆さんの力を

出していただいたが、

より平和への願いが叶う気がしませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近は市販のお供え餅を据えます。

 

 

お正月は魂あるもに対して

車、倉庫、店舗、事務所、レジ,などすべて。

 

 

 

私は宗教など,こだわることはありませんが

身の回りの物すべてに魂があるように、みえます。

ですから、物言わずとも仲間です。

「よいお年を迎えください」

そう言いながらお供えします。

 

 

しめ縄飾りは、まだ届いていません。

 

良い年とは

それはその人の人生観でしょう。

まだ仕事をしてる関係で、毎年卓上用に日誌を使います。

モリスキン日誌が使いやすくて随分前から使っています。

 

一年を振り返る時。日誌を見るのもいいものです。

山は西からも東からも登れる。

自分が方向を変えれば

新しい道は.いくらでも開ける。

松下幸之助

 

今年の日誌のある日にこんなことを書いていました。

きっと、何か迷ったり、挫折していたのでしょう。

 

こんな言葉がいつも私を支えてくれます。

自分の過去を振り返ってみた時

そんな言葉で元気になれました。

 

小さいころ

正月がくるぞ~

正月を迎えないと

そんな大人の言葉に緊張したものです。

何か大きなものが、来ると子供心に思ったのです。