朝鮮通信使の往還図 | 対馬シーロード

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国境の島:長崎県対馬市から発信。
朝鮮通信史絵巻の人形300体を制作中。
















     



雨くもり晴れ 通信使が立ち寄った地名図


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こんばんは。すみません少しお話していいですか?

「はい いいです。」
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(アツ私によく似てる人だ。!?


朝鮮通信使が日本に来て立寄た地名を知りたいので 少し時間下さい。

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この図にあるのが朝鮮通信使が江戸まで行列した地図です。

西暦1607年~1811年で12回も行列してます。

しかし最後の12回は対馬までとなりましたが 両国の平和は260年間も
続き世界史でも類のない事です。


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地図で赤い直線が航路です 福岡から東京まで飛行機で2時間かかりません

通信使は何か月 かけて江戸に到着したのでしょう。

この日はとてもよく晴れて 福岡を離陸して東京に着くまで地上を
いろいろな事に心を馳せながら見てました。

飛行機は通信使が行列したコースの上を飛んでいます。

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対馬では 見ることのない海岸線。

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富士山が見えてきます。絵巻の中には日本の風景は描かれていませんが、

別の絵には通信使が富士山を見ながらの行列図があります。

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カメラ使用の許可をいただいて 機内より撮影。

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私は旅行らしい旅行をしたことがありません。

何かの用向きで出かける時 ついで旅行をします。今回もそんな旅行です。

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音譜富士は日本一の山音譜と音痴ですが、、歌いたくなる。

今回思ったのが、釜山から 対馬 壱岐 下関 瀬戸内海 大阪まで海路。

大阪から陸路で江戸から日光の行程もあるのですから。。
一生を賭けたような長い旅

4年前にはわざわざ旅行を瀬戸内海の下蒲刈町に行きました。

通信使が宿所にしたところで,御馳走一番館と言う資料館があります。

日本人も韓国人も人間感情は皆同じ 通信使は平和に命かけて何を伝えたかったのでしょうか。

特に瀬戸内海の人々は貧しい生活の内にも心気高いものを持ち 接待された記録を読んだとき 日本だの韓国だのと今のニースが嘘のようです。



そんな気持ちで瀬戸内海上空を通過しました。