60年前の遊び着 | 対馬シーロード

対馬シーロード

国境の島:長崎県対馬市から発信。
朝鮮通信史絵巻の人形300体を制作中。
















     



           ほとんどが綿の服

私が小学校のころの子どもの、遊びの様子です。
わんぱくな兄ちゃん。でも可愛い弟や妹を連れて遊んでました。
もうこういう、光景は見られません。
くつでも、服でもほとんどが綿の材質なので、すぐに破れるので、
服やズボンのひざはふせだらけでした。
服の袖口は、チリ紙などもたないので,鼻をふくのでピカ、ピカにひっかてました。

イメージ 1

私は子供のころから、手提げをもつのが好きで、大切なものや好きなものを、
いれてました。今でも袋ものや、お財布、バック、は好きです。
でもね、中身はありませんが,空のものでも、夢はいっぱい詰まってます。


イメージ 2

男の子は特にひざが傷だらけ、ズボンは二重にも三重にも、ふせてありました。

イメージ 3

小学校のころは(昭和30年頃)対馬は、いか、さば、あめ魚、わかめ、など
大漁期がありました。当時の島の人口は7万人近く、現在は半分です。
大半が兄弟5人とか7人でした。

私も5人姉弟です。
上3人が女なので弟2人も、お人形遊びに付き合わされてました。