にゃーこ 3.7キロ
ねこぞう 4.3キロ
先月から、ねこぞうとにゃーこの体重が逆転した。
にゃーこは12月からずっと3.7キロだ。
ちょっと心配になって、著名なキャットシッターさんに相談してみた。
「雌の平均は3キロ台。まったくノープロブレムです」
という返事をいただいて安心した。ふむ、そんなものなのか。
ちなみに雄の平均は5キロ台とのこと。
このまま今の体形を維持できるのか、にゃーこ。
ねこぞうは早くもオヤジ的風格を醸している。。
昨日、大宮ソニックシティでのスガシカオのライヴに
行ってきた。至福の2時間半でした。
*
春樹ネタが続いて恐縮ですが、季刊誌『Stereo Sound』
に村上が連載中の長篇エッセイ、「音楽のある場所」の
8回目は「スガシカオの柔らかなカオス」(2005年冬号)。
8ページに渡って、スガのメロディラインの独自性や
歌詞の世界をたっぷりと解説している。
例えば『黄金の月』に関する言及。
ぼくの情熱はいまや 流したはずの涙より
冷たくなってしまった
どんな人よりもうまく 自分のことを偽れる
力を持ってしまった
という歌詞を、「特徴的な『文体』」だと言う。
ごつごつして、リスナー・フレンドリーではない、と。
「ごく一般的なシンガー・ソングライター」が書けば
ぼくの情熱はもう こぼした涙より
冷たくなってしまった
誰よりもうまく 自分をごまかす
力を持ってしまった
と書くかもしれないと論じる。
いかにも作家的視点ですね。
スガの音楽がどれだけオリジナルであるかを
語ることで、「Jポップ」と呼ばれる音楽への苦言も
呈している。
村上の音楽に関する造詣は、幾つものエッセイや
その小説世界から溢れる楽曲の数々によって
広く知られるところ。
しかしながら、そこに邦楽が登場することは殆どなかった。
数年前に開設していたサイト上で「『バクダンジュース』
って面白いですね」と書いていて、へえ、スガシカオを
聴くんだ、とちょっと驚いたのを憶えている。
そして昨年9月に発売された『アフターダーク』で、
コンビニでのワンシーンにこの曲を流した。
とても新鮮に感じた。
今回のエッセイでもほぼ手ばなしに褒めていると
言っていいでしょう。
かなり珍しいことではないだろうか。
村上は従来から、小説家にしても音楽家にしても、
こつこつと手作業を重ねるように職人的な仕事をする
表現者を好む。あっちへぶつかりこっちで転びながら
自分だけの世界を開拓してゆく人を応援する。
レイ・カーヴァーやビル・クロウ。
ティム・オブライエンやブライアン・ウィルソン。
その系譜にスガシカオも加えたようだ。
村上はスガのことを
「世間の知名度はそんなに高くないけれど、僕は個人的に
けっこう好きだな・・・・・みたいな親密なシチュエーションを
勝手に設定していたんだけど、それはかなり大きな間違い
だったようだ」
と書いているのだけれど、これって、ある時期の村上の読者の
気分とそっくりじゃないか、と思ったりもした。
あるいは村上自身が、そういう存在でありたいと
考えていた時期もあると、思われるフシもある。
良くも悪くもその希望は『ノルウェイの森』によって
適えられないものとなったのだけれど、それはまた別の話。
そういう意味合いで、村上はスガに同じにおいを
感じ取っていたのかもしれない。考えすぎかな?
ところで村上のアシスタントの一人は「へそ出し系」なのだ
そうだ。この事実がいちばん意外だったりして。
(敬称略)
村上春樹が文芸誌『新潮』に連載を始めた。
「東京奇譚集1」という。連作短篇のようだ。
初回の「偶然の旅人」は、ゲイのピアノ調律師の身に
起こった「偶然に導かれた体験」だ。
ある朝に彼はカフェでディケンズの『荒涼館』を
読んでいた。たまたま隣に座っていた見知らぬ女性も
やはり『荒涼館』を読んでいた。そこから始まる物語。
ものすごく劇的な出来事ではないけれど、
些細な偶然がいくつか重なることで、思いがけない場所に
辿り着いてしまう物語。
「偶然の一致というのは、ひょっとして実はとても
ありふれた現象なのではないか」 - 語り終えた後で
調律師は言う。それらの大半は我々の目にとまることは
ないが、「もし僕らの方に強く求める気持ちがあれば、
(中略)メッセージとして浮び上がってくるんです」と。
冒頭で、村上が「前口上」を述べている - 自分の身に
起こった「不思議な出来事」を持ち出しても、
その座談の場でまともに扱われたことは殆どない、と。
そして自身に起きたジャズにまつわる「不思議な出来事」を
二つ披露したあとで、「知人が個人的に語ってくれた物語」
として前述の調律師の話を語り出す。
でも、『回転木馬のデッド・ヒート』を経験している読者は
著者の言葉を素直に受け入れることはできない。
今回もまたすべてがフィクションなのかもしれない。けれどもそれは
たいした問題ではない。稀代のストーリー・テラーが紡ぐ
物語にひととき身を委ね、読み始めた時とは違う場所に導かれれば
よいのだ、と思う。
この一篇だけで何かを論じるのは控えたいと思う。
連作短篇として完結したときに浮び上がってものを楽しみにしたい。
*
私は
『時代はブログる!』
に非常に触発されてこのブログを再開したのですが、
この本の著者が「不思議な出来事」を取り上げるブログを
運営なさっています。こうした「偶然」はとても嬉しいものです。
(敬称略)

著者: イワサキユキオ, 糸井 重里
タイトル: 『Say Hello! あのこによろしく。』
ジャック・ラッセル・テリア(という種類の犬。私も
初めて知りました)のルーシーの出産、仔犬たちの
成長、別れ、再会を記録した本 ‐ こう書いてしまうと、
かわいい「動物もの」、或いはいわゆる「癒し系」
と思われるかもしれないが、それは大きな誤解。
ニコ、サンコ、ヨンコ(なぜ「ニコ」から始まるのか?も、
読み進むとわかります)のあどけない表情に、
無邪気に眠る彼らをやさしく包むルーシーの姿に、
読む者がたくさんのことを思い出したり考えたり
するはず。
家族のこと、友人のこと、愛する人のこと。
それぞれがそれぞれの「内なる物語」を喚起される
のではないか。
陳腐な言い方を許していただければ、「愛の本」だ、
と言い切ってしまおう。愛の本です、これは。
糸井重里が方々で無垢な少年のようにこの本の
素晴らしさを説いているが、それはこの本が自らの
主宰するサイトのコンテンツから生まれたからではなく、
仔犬のうちの一匹を糸井家に迎えたからでもない。
この作品が一人でも多くの人の目に触れて、
その人たちに「生きるのって悪くないかも」と
感じてほしいから、だと思う。
どうぞ、立ち読みで構わないので、手にとって
少しだけ読んでみてください。たぶんあなたは
レジに持ってゆかざるを得なくなるとは思うけれど。
(敬称略)