かれこれ30年以上、この村上春樹さんを
追いかけております。
ここ何年かノーベル賞の季節になると、
決まって始まる書店のキャンペーンや、
風物詩のようにメディアに取り上げられる
「ハルキスト」と呼ばれる人々を観て、
すごく不思議な気持になります。
果たして、「村上文学」はそれほど大衆性を持つ
作品なんだろうか?
例えば『1Q84』は、数百万の人々がこぞって
読みふけるような小説なんだろうか?
何人が面白いと感じたんだろう。
傲慢を承知で言えば、ずっとそう思っていました。
批評やメディアも、いつの間にか本当の意味で
賞賛することもこき下ろすこともなく、
アンタッチャブルな空気を感じていました。
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この『村上春樹は、むずかしい』は、私のこのような
モヤモヤを少しすっきりさせてくれました。
リーダブルではあっても、もっと文学的評価がきちんと
なされるべき、という私の思いはそれほど間違って
いなかったと確認できました。
*
クリスプな文体、斬新な比喩、ちょっとシニカルな会話。
それらに心酔し、模倣し、ストーリー上の記号や数字
の意味を裏読みして楽しみ、主人公が作る料理を
実際に作り、流れてくる膨大な楽曲を実際に聴いて、
「自分のための作家」が存在することの幸福に
浸っていた初期。
「デタッチメント」から「コミットメント」へ。
「喪失」から「再生への模索」へ。
「個」から「家族」へ。
歴史的関心による挿話、そしてより長い
「物語」へ。
そうした変遷を作家の文学的成熟として理解して、
自分も読者として成長したいと追いかけた中期。
いつの間にか「国民的作家」のような存在に
なってしまった状況に困惑しつつ、作品が上梓
されればやはり読むけれど、かなり傍観者的に
なっている現在。
私の読書遍歴を簡単に書けばこうなります。
今再読しても、わからないことがたくさんある。
*
80年代は「メーリングリスト」が村上ファンの
語らいの場の一つでした。
懐かしいですね。
このころに知り合えたの多く方々とは、今でも
何らかのお付き合いが続いています。
たぶん、私も含めて彼らが千駄ヶ谷あたりの
飲食店で、ワインに顔を赤らめて文学賞発表の
パブリック・ヴューイングに興じることはないと
思います。
それでは。
