Showmansは私の原点 | 敦賀明子のN.Y.漫遊記

敦賀明子のN.Y.漫遊記

NewYork在住のジャズオルガニスト敦賀明子の日記です。

水曜日に久々のShowmansで演奏でした。
本当に久々だったのでお店の常連さんたちやボーカルのなぶちゃんの生徒さんたち(かわいい純粋な日本人女性)がたくさん来てくれ、おまけにエリックがレノックスラウンジに来た常連さんや知り合いみんなに、私がShowmans演奏してると言ってくれたらしく、大勢の人が来てくれた。なんとその中にはルーさんも!!!

ルーさんは来るやいなやブルースを熱唱。みんな大感激。
その後、マイクでしゃべりたいと言って話し始めたのが・・・
「僕がこのショーマンズに最初に演奏したのは、この店がアポロシアターの隣にあった、1952年だったよ。こうやってまだ続いてるなんて嬉しい!頑張ってほしい!」←訳Nabuko
知らなかった・・・・ルーさん、以前はこのあたりに住んでいたそうで、とっても懐かしんでいました。

演奏が終わった後、Showmansを長年切り盛りしているモナにも温かい言葉をかけていたのがとっても印象的で、モナは今にも涙が出そうな顔をしていました。私も聞いていてとてもうれしかったです。ルーさんは本当に器の大きな人で、私もすっかり甘やかしてもらっています。。。

そういえば初めてルーさんに演奏を聴いてもらったのもShowmans。
あれは去年の6月。サックスのアンドリューとドラムのニールと演奏していたらふらっとルーさんが来て、バーの一番前に座り、私たちの演奏を聴いてくれ、演奏が終わった後「とってもよかったよ。ホーンプレイヤーのバッキングを時々やり過ぎるときがあるけど、経験を積んだら大丈夫。ぼくが機会があれば一緒に演奏してあげるから」と言ってもらいました。
次の日にエリックと巨匠(Dr.Lonnie Smith)に「Akikoはそこら辺のオルガンプレイヤーよりもずっといい。」と言ってくれ、これを機に一緒に演奏させてもらうようになりました。

そういえばCDのライナーノートを書いてくださった岩浪洋三さんと初めてお逢いしたのもここ。初めてSwing jornalにshomwnasで演奏していることを書いてもらってうれしかったなー


NYに来てからずっきんと毎週のように飛び入りしていて、その後、なぶちゃんと大輔くんとずっきんでJ Jazz Sistersを始めた頃は毎週のようにグラディさんが来てくれて、彼からは私たち全員、本当にいろいろな事を学び(この日も誘おうかと思ったけど、最近お酒を控えているのでかわいそうかなと思い、遠慮したのだった。)デビューアルバムではドラムで参加してもらい、今では彼のボーカルの伴奏者として同じステージに立つことができるようになったし・・・
本当に私のNYでのキャリアはここから始まったと言っても過言ではありません。本当に感謝しなくっちゃ。

この間初めてちゃんとモナとしゃべったんだけど、その時に
「私はずーっとオルガンを聴いていたの。最近では昔に比べてみんな小粒になってきてるけど、あなたを初めて聴いたとき、この子なら・・と思った。あなたが着実にステップアップしていってとても誇りに思っているのよ。この世界で女性がやっていくのはとっても大変だけどがんばってね。私は10人中9人が私のことを認めなくても一人が認めてくれたらいいと思ってここまでがんばってきたのよ」と言ってもらいました。
その温かい言葉が心にしみて、涙が出そうになりました。
本当にその通り!

女性で東洋人というハンディを背負っていて時々落ち込むこともあるけど、それ以上にグラディさんやルーさん、そしてドクター・ロニー、エリックやビンス、大阪時代からの仲間、ほかにも数え切れない位いろんな人に支えてきてもらった。期待に応えるようにがんばらなくっちゃね!

折しもこの日は8月15日。終戦記念日。なぶちゃんが歌ったWhat's a wonderful worldが心にしみた。本当に毎日世界中でいろいろあるけど平和があってこその私たち。そのことを改めて考えた夜でした。

おまけ・・・
演奏が終わってレノックスラウンジからエリックとオルガンのネイト、ドラムのサム、ギターのジェイソンも来てルーさんを囲んでみんなで大盛り上がり大会。調子に乗ってレッドワインを飲んで、次の日は二日酔い。クイーンズカレッジ(家から10分)で5時から演奏だったけど、近いから楽勝!と思っていたのが大間違い。外で演奏で、おまけに蒸し暑く、昨日の酒が残ったいやーな汗と共に蚊に刺されまくり。心身ともに疲れ果てました。


ルーさんといえば・・・
アリゲイター・ブーガルー/ルー・ドナルドソン

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