この映画自体がFAKE? | おおつる 求 ブログ

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みんなちがって、みんないい。
大津留が見た・聞いた・感じた・考えた事を、徒然なるままに。。

ゴーストライター問題で騒動になった作曲家、佐村河内守さんのドキュメンタリー「FAKE」

2014年、「全聾の作曲家・佐村河内守はペテン師だった!」という記事を載せた『週刊文春』が発売された。佐村河内さんのゴーストライターを務めていたという作曲家の新垣隆さんは「佐村河内は18年間全ろうであると嘘をつき続けていた」と独占手記で主張。佐村河内さんはマスコミに連日取り上げられ知らぬ間に消えた印象しかない。

FAKE = 偽造する、見せかける、インチキ、虚報。

鑑賞後、歩きながらボクの心はモヤモヤしていた。

ジャーナリストの津田大介さんは、次のようなメッセージを寄せている。
『人のイメージなどメディアを通せばいかようにでも操作できるという当たり前の事実を森達也ならではの手法で観客に鋭く突きつける傑作。鑑賞後、全ての人が感じる「もやもや」こそが、本来は「メディアテラシー」と呼ばれるものだろう。』

分かりやすい情報が、シロクロはっきり断定した報道が、テレビ画面から洪水のように流され、『真実』ではなく、その事象の『正解』を教えてくれることに慣れてしまっている自分に気がつく。

そして、一人の人間を簡単に社会から『抹殺』させるマスコミの暴力性も改めて。

マスゾエ騒動をみても、ベッキー騒動をみても、ほとんどイジメだ。
テレビで、新聞でで叩き、ネットが炎上する。
相手がくたばり、社会の表舞台から消えるまで叩く様は、狂気じみている。

ただ、安倍晋三や麻生太郎、石原慎太郎や橋下徹が、その対象になることは、ない。(敬称略)
そんな傾向がどんどん悪化し繰り返されていているような気がする。


社会学者の宮台真司さんのメッセージ。
『本作は、我々が社会を生き始めるに際して受け取った外傷体験を強制的に思い出させる。そう、社会は間違いなく、善悪や真偽や美醜の二元論で構成された悪夢なのだ。

深い。深すぎる。

漫画家の今日マチ子さんさんのメッセージ。
『この作品を観たら、無邪気な視聴者でいることは出来なくなるだろう。レンズを通した視点は常に誰かのもの。私たちはほんとうに、見えて、聞こえているのだろうか?


まさか1,800円払って観た、このドキュメンタリー映画自体がFAKE!?