豊後街道(肥後街道)⑧「湛水→野津原宿→わさだタウン」


前回記録


今回、ゴールとなる鶴崎に宿泊しての歩き🚶🚶‍♀️。いわゆる歩き旅スタイル!

自宅を4時半に出て、前回終点の竹田市の今市宿先「湛水」バス停からスタートする。

バス停付近の余地に駐車し、一旦412号線から左690号線へ入り、田ノ口公民館から右へ。ここからも水路上に旧街道の記録があるので分け入ってみると、なるほど道だった形状を確認できるが、すでにボーボーの薮に付き粘る必要もないぐらい数メートル横の舗装林道が並行しているので、そこん歩いて412号線へ出る。


今日は、天気が良くて気持ちいい!なんせ、初めての道を歩いて旅?する心地に、一旦ハマってしまうと車など乗り物で通過する事の虚無感は甚だしい気さえする。

今は、自分の脚で歩けている状況に陶酔している感じだわ😌

肥後街道(大分県に入ると)は、車道から右にそれて、カッコ良い街道となり、上原バス停で、また412号線に出る。


集落を出っこみひっこみ歩き、なんだかわからないまま先に進んでいたら、伊塚石畳と矢貫石橋を飛ばしていたようだ!

少し戻って、「赤坂石畳」だけは確認出来て良かった!

戻ろうとも考えたが、なんせ今日は、野津原公民館からコミュニティバス🚌で、湛水に駐車した車を回収せにゃならん!


10:56発 野津原公民館→湛水 のバス🚌に乗る。私らより先輩格の爺婆様4名と同乗510円×2名。

車で、野津原公民館近くの七瀬川食堂で昼食。天ぷらの量多すぎ😳


一旦、わさだタウンまで行き、大分バス🚌で野津原公民館まで引き返し歩き再開!13:50

野津原宿は、幕府軍艦奉行:勝海舟が長崎出張の折、坂本龍馬と宿泊している。佐賀関に船で上陸後、徳応寺に一泊、続き鶴崎の本陣で一泊後に、ここ野津原宿で手記欄外に

「民のかまどゆたけきものを、

  しらぬいのつくし生うてう野津原のさと」

と記している。

江戸時代、大分(豊後国)の「久住」「野津原」「鶴崎」は、熊本藩の飛び地となって参勤交代の為の宿場となったそうな🧐


てくてくと、地道にテクテクと歩き「木の上峠」に来た。バス停横の天満神社境内?の公民館玄関に腰掛けさせてもらい休憩。


稙田(わさだ)に入る。

江戸時代に、延岡領、府内領、臼杵領などに分割統治され、三藩の接する「光吉」は天領。臼杵藩は稙田に点在する境界を明確にする為に4箇所に立てた石柱の一つが、この稙田公民館北口の「従是西臼杵領」石柱。翌日、七瀬川沿で「従此川中西臼杵領」も見る。

わさだタウンで、夕朝食の食料を調達して、鶴崎のビジネスホテルへ向かう!

夜、長男から電話を貰い、結婚記念日を認識😳😓、スーパー弁当の食事となり、質素な記念日食事とあいなりにけり!


GPS計測 15.7km  標高差+136m  -504m

万歩計 18.3km   27,535歩


その⑨へ続く