神大剣道サークル「鶴甲剣友会」

神大剣道サークル「鶴甲剣友会」

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神戸大学を中心に多くの関西の学生が参加している剣道サークルです。
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こんばんは。

お久しぶりです。前主務の尾崎です。

 

更新すると言っておきながら、

ほとんど更新しないまま引き継ぎを迎えてしまいました(zoomにて)orz

 

月並みなことを言えば、

結局、今年もあっという間に終わってしまい、

あれこれコロナに翻弄されながら秒で終わってしまった…orz

という感覚です。

 

僕としては、もっとやれることがあったのではないか。

というやりきれないような思いを抱えています。

しかし、それと同時に、もそれでも頑張れた方なのではないか。

という自分をねぎらうような気持ちも同居していて、

 

結局のところ、「なんだかなあ」という曖昧な気分です。

 

 

こうやって一年間やってみて、

いかに物事を継続させていくのか、ということや

コミュニティを存続させることの難しさ

のようなものを学べたのは僕にとっての財産になってくれているように思います。

 

僕はどちらかというと、感覚や感性といった非言語に重きをおくタイプなので、

オンライン空間でのやりとりが苦手な前時代的な人間です。

昨今の若者は、そんな人は少ないのかもしれないし、

オンラインの気楽さというものが良しとされるのかもしれません。

 

でも、僕が思うのは、人間は肉体的な感覚を排除しきれない存在だということです。

どんな人間であれ、痛みや苦しみや、温かみや安らぎのような感覚をもっているはずです。

そういう感覚的なもの、言語化しにくいものを大切にしていった方が良いのではないか。

そう思うのです。

 

引き継いでくれた2回生の人たちには、

大変だとは思いますが、自分たちは仲間だという意識を持って、協力して乗り切っていってほしいなと思います。

こんなご時世で、言いにくいことですが、仲間同士で多少バカなことをやって、愉快な時間を共有することも大事なのではないかと僕は思っています。

 

 

本当に世の中は暗い話題ばかりで、

皇室の方の結婚という一見おめでたい話ですら、

ドロドロとした暗い話になってしまうわけです。

 

今のような時代に生きていると、多少絶望を感じることもあると思います。

自分にはどうしようもないことばかりで、

何やら世界的に見ても大転換期と言われており、

時代の変化のスピードも桁違いになっています。

 

情報化社会の中で、

新しい情報が出てき、ノウハウが出てき、今まで正解だったものが一気に廃れていくような時代です。

なんでこんな時代に生きているのか?と疑問に思うこともありますし、

もっと緩いスピードだった時代に生きていたかったとも思います。

 

でも、今生きているということには必ず意味があるはずですし、

人には役割があります。

何位かしら人は得意分野を持って生まれてきますし、

それが自分の役割だと思うのです。

 

古事記では様々な神々が登場しますが、

どの神様にも得意不得意があって、

例えば、スサノオなら、力もあるし現実を動かすのが得意な神様ですが、

建速素戔嗚尊(たけはやすさのおのみこと)という御神名のイメージ通り、

大雑把でガンガン突き進むけれど、細かいことは苦手な神様です。

 

何が言いたいのかと言えば、

引き継いでくれた人たちには、ぜひ役割に徹するということを意識してほしいということです。

パズルのピースのように、人間は凸凹しているものです。

だからこそ、自分が得意なところで活躍して、自分が苦手なところは他の人に任せるのが良いと思います。

なんでも自分でどうにかしようとするのではなく、

うまく他人の力も借りていくことは大事なことです。

 

そんな感じで、一年間ありがとうございました。

ということと、

引き継いでくれた人たちへのささやかなアドバイスとして書かせてもらいました。

 

僕は口で伝えるより、文章の方が書きやすい人間なので、

後出しじゃんけんみたいになってしまいましたが、

その辺は許していただきたいなと思います笑

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

では!

 

こんばんは。主務の尾崎です。

暇だったら更新しようと思ってたのですが、

案外忙しく、少し間が空いてしまいました。

 

前回は、めっちゃ堅いテーマだったので、

今回は、緩いテーマで。

 

今回は、僕視点での鶴甲剣友会ということで、

僕が思う鶴剣の良いところについて書いてみようかと。

 

変な人が多い

まず言えるのは、変な人が多い。

これは、3回生がそうなのか、鶴剣全体がそうなのか、

それはわからないけれど、

なんとなく、変な人が多いように感じてます。

 

突き抜けて変な人と言えば、

Sくんですが、

Yくんもかなりの変人であります。

いつも、僕が一番まともな人間だなと感じる次第です笑

 

Sくんの変人エピソード

Sくんの変人エピソードとして、

僕の中でものすごく強烈だったのが、

 

1回生のときの確定新歓か何かの飲み会のときに、

3回生の先輩方に向かって

フェルマーの最終定理のなんたるか

を熱烈に。いやもはや”激烈に”語っていたことです。

その熱量たるや!という感じです笑

 

Sくんはかなりの鈍感な性格の持ち主で、

周りとの温度差というものを一切感じないらしい。

 

当然ながら、周りの人みんな引いていました笑

フェルマーの最終定理を知っていた僕でさえ多少引きました笑

そんなことを入学当初からやらかしていたのがSくんです笑

もはや伝説級、、、

 

そんなSくんは、その後も、そういうやらかしにすら気づかず、

変人ロードを突き進んでいるようで何より。

 

そんなSくんですが、

彼の名誉のために一応補足しておくと、

たまには良い奴のときもあり、そういう鈍感さがたまにイラッとくるけれど

総じて面白くて良い奴ということになっております笑

 

そこまでの変人ではないものの、

他にも何人か、変人がいます。

それについてここで深掘るのは、身の危険を感じるのでやめておきます笑

 

みんな穏やか

そのほかに、鶴剣について思うことと言えば、

みんな穏やかだということです。

 

大抵の人は穏便に、かつ平穏に

という感じ。

 

変人ですら、割と平穏なのが良いところかと。

だいたいの人が良いところとしてあげるだろうことですが、

案外、それって大事なことだと思うのです。

 

森見登美彦の小説に出てくるような変人がいないのが、

鶴剣の良いところかと。

法界悋気にさいなまれ、クリスマスイブに京都河原町でええじゃないか騒動を引き起こすような変人がもしいたとしたら、

サークルとしてかなり危険だったと思います笑

何を言っているかわからないかと思いますが、

つまり、何を言っているのかわからないくらいの変人が鶴剣にはいないということです笑

 

ちなみに、森見登美彦の「太陽の塔」という小説がものすごく面白いのでオススメ。

 

鶴甲剣友会全体について書きたかったのに、

Sくんにばかり文面を割きすぎました。

申し訳ない。

 

 

他の人視点での鶴甲剣友会も読んでみたいなあ!

とどこかの誰かに圧力をかけて、終わりにしておきます笑

 

 

 

 

ご無沙汰しております。

尾崎です。

前回書いたのが去年の10月ということで、

ずっと音沙汰なしでしたが、

久々に、鶴剣のブログでも書こうか

と思い立ったので、勢いで書いております。

 

 

近況

世の中の動向は、

なんや、緊急事態だそうで、

8月も稽古できず、

さらに今後もしばらく活動できない感じなのではないか

と思っています。

僕の予想では、令和五年までは荒れる予想なので、

しばらくは、世の中は荒れると思っておいて間違いないでしょう。

 

そんなことを言っていると、

主務も引き継ぎになってしまうということで、

これからは、活動できない分、ブログでも書いて、

多少なりとも交流できたらな

と思っています。

 

何か書いてほしいテーマなどありましたら、

気軽にコメント等してもらえると助かります。

 

道と術

ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、

僕は趣味でブログを書いています。

 

 

最近は、「逆境とともに生きる道」というテーマで連載記事を執筆しているのですが、

 

それに関連して、今回は、

「道と術」といういかにもお堅いテーマで書いてみます。

(今後は、もっと緩いテーマで書きますが、

今回はちょっとお堅いテーマで書きます orz)

 

世の中には、道と名のつくものがいくつかあります。

剣道、柔道、弓道、茶道 et cetera

逆に、

剣術、柔術、などといった武術も存在します。

 

この[道]と[術]の違いは何なのか?

について考えていこうということです。

 

結論から先に言えば、

道は「在り方」

術は「やり方」

です。

 

「在り方」と「やり方」はどう違うのん?

ということですが、

 

「在り方」を言い換えると、「生き様」ということです。

 

「在り方」の方が抽象度が高いんです。

抽象度というと、

すこし難しそうに思えるかも知れませんが、

要は、「在り方」ってちょっとわかりにくいよね。

ということです。

 

「在り方」と言われても、ふわっとした印象を受けるのではないでしょうか?

そのふわっとした感じが、まさに抽象度が高いということなんです。

 

「道」とは、「美しさを追い求める道」ということで、

在り方における美しさを追求するのが「道」です。

 

逆に、術とは、「テクニック」

剣道で例えるなら、一つ一つのワザ、

体さばき、足さばき、手の内などなど、

具体的かつ細かい一つ一つの事柄が、「術」というわけです。

 

剣道の理念から考える「道と術」

剣道の理念を引用すると、

剣の理法の修練による人間形成の道である。

とありますが、

剣の理法とはまさに、術の訓練なわけです。

剣というものの性質を理解し、

それを正しく扱うということ。

 

で、それによって、人間形成をしよう!

というのが剣道の理念なわけです。

 

つまり、剣道の目的は、人間形成、人格形成なわけです。

人間形成、人格形成とは、すなわち、人間性であり、

生き様、在り方と言ってもいいでしょう。

 

人としての在り方の美しさの探究が「道」の目的であり、

「道」の探求の道具としての「剣」ということです。

 

「道」というのは、すべてつながっていて、

剣道で大事な心構えや精神性は、

柔道でも同様に大切です。

 

柔道と剣道の目的は同じで、

探求の道具、表現方法が異なるだけなのです。

 

「道」と「美」

「道」を「真理」と捉えるのも良いでしょうし、

「真・善・美」と捉えても良いと思いますが、

 

僕は、「美」の追究が一番肝要なのではないかと思っています。

 

なぜかというと、

美しさは、繊細微妙で、かつ明確な答えがないからです。

明確なわかりやすい答えがないからこそ、

探求のしがいがあるし、

 

その人自身の美意識がそのまま剣道に反映されるのだと思います。

 

美しい剣道を貫くには強さが必要。

でもだからといって、力任せにやるのは美しくない。

そういう二項対立の狭間で、

いや、もっとたくさんの軸の狭間で揺れ動くのが「美しさ」というもの。

 

本来、剣道はそういう精神性の部分が重要視されるべきなのではないか

と思っていますが、時代感もあってか、

そういう精神性の部分がないがしろにされているように思えます。

 

ちまたにあふれる本を読んでいても、

なんちゃら術、なんちゃらのやり方、なんちゃらテクニック

みたいなものばかり。

たしかにそういう本もあって良いし、便利だとは思うが、

本来大事にするべき、原理原則、在り方、生き様

ということについて書かれた本は数が少ない。

 

やり方ばかりに目をむけても必ず行き詰まる。

そういうときは、絶対に「在り方」に立ち返るべきだと思います。

 

 

本当に美しい剣道は誰が見ても美しい。

 

だからこそ、そういう剣道を目指したいものですね。

 

とまあ、こんないかにも堅物なことを書いたわけですが、

四六時中こんなことを考えているわけではないですし、

剣道自体を楽しむのも一つの在り方なのではないか。

ということも付け加えておきます。

 

こんな感じで、夏休みの間は、僕が暇なので、

適当にテーマを拾って更新していきますので、

今後も読んでいただけると嬉しいです。

(↑美しい生き様と言えば、楠木正成ということで、美しい湊川神社。)

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では!