釣りタイトルみたいになってしまいました。
どうも、鶴野です。



現在有難いことに世に出す予定の脚本を2本抱えているのですが、文字を練っていると時折ものすっっっごい自己嫌悪に陥る時があります。

というのも、文字ってクオリティがわかりづらいんですよ。


イラストや音楽だと、素人でもパッと見たり聴いたりで何となくの善し悪しや好みがわかると思うんですけど、文字ってどうにもわかりづらくはありませんか?

もちろん、文字の丁寧さや読みやすさはあれど、それはパッと見ではわからなくないですか?

特に脚本ともなると、セリフの書き方や話の構成が重要で、それって最後までちゃんと読み込まないと判断しづらいですよね。


イラストや音楽もかなりの苦労や努力が必要で、それに伴う評価がされているというのはわかります。

全てわかった上で、文字を書いている時に自己嫌悪に陥るのです。

これ、面白いんかな?
どう書いたら上手いんや??
基準がわからんな??
上手い人の脚本とりあえず模写でもしてみて訓練すればええんか?
インプットしてもアウトプットのやり方わからんな??

など、山積みの不安が押し寄せてくるのです。



脚本かけてすごい、と言ってくれる人の中で、私の脚本をちゃんと読んでからそう言ってくれる人はどれくらいなのでしょうか。



……ええ、わかっています、私がひねくれているだけということも。

最近ちょっと食べすぎて太ってきているのも。

欲しい服を購入した次の日にセールされていたのも。

たまごボーロが美味しいことも。


全部わかっているのです。


そんなひねくれた自分にまた自己嫌悪が重なり、負の無限ループに陥るというわけ。





それでも、自分の心の整理や、誰かに見てもらえることで昇華されたい一心で言葉を紡いでいます。

作品を作り続けています。

一人一人登場人物を生み出す度に、その存在が愛おしくてたまりません。

それと同時に、自ら生み出したくせにその存在に嫉妬したり同情したりして、バカみたいだなと思う時もあります。




3月の作品は「幸せ」というものに向き合う人達の話です。
幸せとはなんだろう、生きるって幸せなんかな、そもそも幸せってどう感じるの?
そんな私の疑問から生まれた話です。

5月の作品は「誰かに必要とされたい」という気持ちを強く持った人達の話です。
誰かに興味を持ってもらったり、肯定されたり、求められることで、人はきっと安心感や焦燥感を覚えると思うので、そこから膨らませた話です。





私は多分、まだ脚本も演出も自信を持って得意とは言えません。
未熟な部分が多すぎるし、自分でも実力不足を感じています。

でも、それでも、書きたい。やりたい。


有難いことに場所を提供していただけるなら、どこまでもやってみたい。




そんな気持ちに結局は落ち着きます。




さて、ここまで読んでくださった方はどれほどいるのでしょうか?

せっかくなので読み切ったよ!という方は、ぜひこのブログを告知したTwitter(新:X)のツイート(新:ポスト)に、好きな食べ物を書いて送ってみてください。

願わくば、文字がもっと読まれる世界になりますように。

もっと願わくば、私が書いた文字がもっと読まれる世界になりますように。


あでゅ~!