「それから村の中央にピアノが置かれるようになりました。村の人々はノネムの事を忘れてはならないと思ったからです。ピアノの音色を忘れてはならないと思ったからです」
眩しい光が入り込む教会の中で、一人の女性が絵本を朗読していました。それを食い入るように沢山の子供達が眺めています。
「そうして人々は、これからもノネムのピアノと共に、生きていくでしょう」
パタリと絵本を閉じると、子供達の拍手が響き渡ります。絵本を読んでいた彼女は優しく笑うと、一番前に座っている子供に絵本を渡しました。
そして「また明日」と告げるなり教会を後にしようとした彼女は、ちょうど入ろうとしていた人物とぶつかりそうになりました。
「あ、ごめんなさい。……レイラ」
「こちらこそ申し訳ありません。……無事に本日のお勤めは終えられたのですか?」
「えぇ」
「お疲れ様です」
「レイラは?」
「私は、本日の礼拝がまだでしたので」
「そう……」
そんなやり取りを少しだけしたあと、もう一度互いにお辞儀をして離れます。
彼女は心なしか頬に笑みを浮かべて、教会の裏まで軽い足取りで歩みを進めました。
教会の裏には、たくさんのベロニカが咲いていました。花々は、そよそよと風に揺られて気持ちよさそうにしています。
「今日も、……きっと、平和ね」
ぽつんと呟いた声が、風に乗って緩やかに消えていくとほぼ同時に、ガサリと別の足音が響きました。
「ここにいたのか」
「あら、タンタ。私を探していたのですか?」
タンタと呼ばれた気の良さそうな青年は、頭をポリポリと何度か搔いたあと、彼女の隣まで歩み寄ります。
「まぁ、そんなとこ。ここにいるだろうなとは思ってたけどさ」
「何か用が?」
「いや、特に用はないよ。暇だったから会いに来ただけ」
「そう、ですか……」
お互い目を合わせることはなく、揺れるベロニカや空を思い思いに眺めていました。
すると、不意に遠くから音が聞こえました。それは、どこか懐かしいピアノの音でした。
「タンタ……!」
「あぁ、村のピアノからじゃないな。多分、森の方だ」
「……なら」
その先を、彼女は言葉にしませんでした。胸がいっぱいだったからです。代わりに嬉しそうに笑うと、優しい眼差しで空を見上げました。青い、青い空でした。