町外れにある小さな丘の上、木々に囲まれたそこに“彼女”は住んでいる。年季の入った屋敷の一階。日当たりの悪い北向きの部屋。少し開いた窓からはきっと、心地よい風が流れてくるのだろうか。
「こんにちは」
そう私が窓越しに話しかけると、ベッドに座ってぼんやりと前を見ていた彼女はこちらを一瞥した。
今日はあんまり機嫌がよくないらしい。
いつもならここで挨拶が返ってきて、それから最近食べた物の話だとか、近所の犬の話だとか、そんな雑談を重ねるのに。キュッと結ばれた口からは何も情報は得られない。
「もう夏もそろそろ終わるそうですわよ。あっという間に寒くなるらしくて、秋が可哀想ですわね」
せっかくだし、と大袈裟に身振り手振りを加えて話し出してみると、彼女はこちらを見て目を丸くした。そして、小さく笑った。どうやら御機嫌取りは上手くいったらしい。
私は彼女の笑った顔がとても好きだった。ツンとしていると冷たい印象の彼女だったが、笑うとそれはもう可愛らしく、周りに可憐な花が咲いているのではと錯覚してしまいそうな程だった。
「もう、なぁに。その話し方」
「面白いだろう?たまにはこういう私もどうかなと思ってね。実際、どうだった?」
「キャラクターがブレブレね。三十点」
「満点とは恐れ入った!」
「あははっ、変な人!百点満点中に決まってるでしょう!」
両手で口を隠して笑う姿は、中世の麗しき姫君といったところだろうか。どれだけ笑っても気品溢れる彼女の事を、やはり私は好きだと思った。
しかし、彼女との会話は難しいものだった。暗闇に満ちた洞窟の中、落ちている宝石の原石を探しているかのようなスリルがあった。今のように笑ってくれるのはレアケースで、基本的にはそれとなくあしらわれる事が大半だからだ。
「百点中三十点なら、伸び代があるということだね」
「……ふふ、そうね」
彼女の何が喜ばしい事で、何が悲しい事なのか、私は知る事が出来ずにいる。
そもそもに私は彼女の事を何も知らない。たまたま散歩中に見つけたこの屋敷自体についても何も知らないし、そこで出会った彼女についても特に情報はないのだ。
名前も知らない。ただ唯一知っているのは、笑った顔が可愛いという事だけ。
「ねぇ、あっという間に冬が来る。君に会ったのは暑すぎる夏の日だ。私は夏は得意じゃない。けれど冬も苦手だ。出来れば秋がいいけど近頃の秋は仕事をしていない気がする。君は、どの季節が好き?」
「……さぁ」
「消去法でいくと私は春になるんだけれど」
「そうね」
「春は日差しが暖かいからいいね。今、この秋になり損ねてる季節も比較的心地よい日差しではあるけど、すぐ寒くなるからいけないね」
なんとなく、黙るとよくない気がして意味もなくペラペラと話し続けた。彼女は聞いているのかハッキリとはわからなかったけれど、時折返ってくる相槌がなんとか私を奮い立たせていた。
しかしそんな謎の使命感もすぐに枯れ、思わず無言が訪れる。やがて風のざわめきで耳が擽られた後、ぼんやりと言葉を発していた。
「この屋敷から、出れないのか」
それはずっと疑問に思っていた事だ。彼女は絶えずこの屋敷の同じ部屋の同じベッドの上で暮らしている。私が訪れたタイミングが悪いのか?と思ったが、着る服すら変わっていない気がするのだ。夏なのに長袖のシャツは暑くないのかと初対面の時に思ってから、未だそのシャツはまろやかに彼女を守っている。
いつ、何時訪れても、そこにいる彼女。早起きした朝も、暑すぎる昼も、そして、どこか切ない夕暮れ時も、静かにどこかを眺めていた。ただ夜だけは私にも生活があり訪れることが出来なかったから、夜に活動でもしているのか?と考えた日もあったが、上手く思考はまとまらなかった。
「どうしてそんなことを聞くの?」
「気になったんだ。君さえよければ散歩にでも誘ってみたくて」
「散歩……」
「遠くまでは行かない。せいぜいこの屋敷の周りくらい。どう?」
初めて一歩、いつもの場所より窓辺に近づいた。ふわりと香るこの匂いは、なんだったか。嫌いな匂いではない。
「……そうね、もうすぐ夏も終わるから、散歩も出来るかもしれないわね」
「どういうことだ?暑いのがダメなのか?」
「ううん。暑いのもダメなんだけど、そうじゃなくて……」
カァ、とどこかでカラスが鳴いた。ざわりと木々が揺れた。地面の草達も、そよそよと足を撫でてくる。
「陽の光には当たれないの、私」
やけに彼女の声だけが、遠くに聞こえた。
「それはどういう……。病気か、何かなのか」
「ううん。ただ私は、一生、陽の光を浴びる事なんて出来ないの」
「なぜ……?」
「なぜ、でしょうね」
陽の光なんて、夢のまた夢なのよ。
彼女の寂しそうな笑顔は、苦手だと思った。